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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2013/12/10

泉田洋一議員に対する辞職勧告決議案  村議会

 今日、定例議会の初日の12月9日、先月に引き続きまたまた同じ人物に対して辞職勧告決議が全員賛成で上がりました。


 このところ、議会欠席が続いていた泉田洋一議員が、久しぶりに出席しました。


 最初の方で議員辞職を坂梨公介議長に申し出たと言っていましたが、坂梨公介議長への不信任決議案が採択されたのを見て、辞職を撤回しました。

 先月の議会で採択された議員辞職勧告決議を、坂梨公介議長は欠席していた泉田洋一議員に対して、決議文を郵送するのを議会事務局が準備したのに決済印を捺さなかったために送れず、1ヶ月も本人に届いていなかったことが明らかになりました。


 まことに怠慢なことですが、泉田洋一議員との友情から口頭で伝えたのでいいだろうと思ったなどという坂梨公介議長の話にはあきれました。


 決議文の一字一句をじっくりと読んでもらわなくては、議会がどのような主旨で辞職勧告決議を採択するに至ったのかがわからないことになります。


 甚だしい職務怠慢と言わなければなりません。


 そこで宮田勝則議員提出、上野正博議員・西口義充議員・中西義信議員・山下一義議員が賛成議員になっての、坂梨公介議長に対する議長不信任決議案が提出されました。


 結果は、村上貞廣議員と泉田洋一議員の2名が反対、その他の7名が賛成の賛成多数で採択されました。

・……・……・……・……・……・……


<泉田洋一議員に対する議員辞職勧告決議は、以下に示す通り>

・……・……・……・


 泉田議員に対する辞職勧告決議については、去る11月11日開催の臨時会において、決議案が全員の賛成により可決されたところである。


 しかしながら、泉田議員は、この決議を無視するとともに、公器である新聞社の取材に対して、「辞職せず(議会や村と)戦う」との発言をするなど、村民を愚弄した態度を示し、また、自らのこれまでの所業を省みることなく、辞職せずに今日に至っていることは、誠に遺憾に思うところである。

 同僚議員として、至極残念で、悲しくもあり、村民に対して申し訳ない気持ちで一杯である。


 また、対外的にも西原村議会が軽んじられることでもあり、大変恥ずかしい思いをしているところである。


 このような態度は、村民の負託を受けて村政に携わっている議員として、あるまじきことであり、許し難く、先般の辞職勧告決議においても指摘されたように、議員リコール(解職請求)に値するものと言わざるを得ない。


 更には、こうした振る舞いに対しては、議員としての資質が問われる以前の問題として、大きな疑問を持つところでもある。


 泉田議員が、このまま議会にとどまることは、議会の混乱が一層深まり、村政の停滞を招き、村の発展を阻害する大きな要因になることが危惧され、村にとって不幸な事態である。


 したがって、村議会としては、泉田議員が自らの良識に基づき、再考のうえ、直ちに議員を辞職されることを再度勧告する。


 以上決議する。


 平成25年12月10日
 熊本県阿蘇郡西原村議会


・……・……・……・


 上記議員辞職勧告決議は、提出者…西口義充議員・賛成者…宮田勝則議員・林田直行議員・山下一義議員で提出されました。


 11月の議員辞職勧告決議は、再度泉田洋一議員に向けて議場で読み上げた上で、郵便で発送することになりました。
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2013/12/10

オードリーの最晩年の地・スイスは、お母さんのおっぱいに吸い付く赤ちゃんの安心した顔に見える…平和の国  村のあちこち村おこし

 最晩年のオードリー・ヘップバーンは、永世中立の国・スイスにありました。


 改めてスイスの国を、レマン湖のあたりを頭にして見つめていたら、なんと飢餓に苦しむソマリアの赤ちゃんの横顔に見えてきました。


 オランダの方を安心した顔で見上げながら、お母さんのおっぱいに吸い付いている赤ちゃんです。


 4歳から16歳まで、オランダでの少女時代、隠れ家で飢餓に苦しみながら暮らしたオードリー。戦争を憎んでいました。ユニセフに助けられた記憶。


 ドッティ氏と2度目の結婚をして暮らしていたイタリアが、急に治安が悪くなってきたのを機に、スイスに移住しました。スイスは安心の国だったようです。


 スイスの全体をイタリアの方から目を薄めて見ていると、乳を吸われながら目を細める山羊に見えてきました。


 次に、フランスに近いジュネーブやレマン湖のあたりだけを区切ってみたら、ちょび髭を生やした鼻のアインシュタインの横顔になったではありませんか。


 驚きました。実際に若き日のアインシュタインが特許局に就職していたのが、スイスでしたからあまりにもうまくできすぎです。


 享年63歳で大腸ガンで亡くなる直前まで、ユニセフ親善大使としてアフリカのソマリアの飢餓に苦しむ子どもたちのために働いていた優しさ。


 松下奈緒さんが伝えてくれた1993年までのオードリーの生涯でした。


 いつの間にか20年にもなるのにいまだに世界中の人々から愛されています。

 私が記憶するのは、テレビで見た『ローマの休日』です。名演技だったあれがオードリーが世に出た初演だったとは知りませんでした。


 背景にハリウッドの映画界に赤狩り旋風が吹き荒れていたとは、後でおぼろに知りました。
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