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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2014/3/6

〈戦争ができる国〉を目指す安倍政権ですから、今こそ世界大戦の細部までよく調べて把握しなければ…  村のあちこち村おこし

 不破哲三さんによるスターリン研究の、『前衛』連載の論文には、ブルガリアに関連した記述が、かなりの分量出てきます。


 ブルガリア出身のディミトロフという、コミンテルンの大物がスターリンのすぐ近くにいて、詳しい日記を残してくれていたことが、スターリンのことを時系列で分析し研究するのに役立っているようです。


 宇宙の広さを測定する時に、灯台のような基準となるパルサー星があって物差しの役割をしているように、スターリンとソ連の行動を研究するにも、時系列の物差しの役割を担っているのが【ディミトロフの日記】ではないでしょうか。


 ブルガリアはウクライナに接する国であり、首都はソフィア。


 近隣国との領土紛争の際にも、ナチスのドイツ軍がバルカン半島に進出してくる際にも、いろいろとブルガリアを〈贔屓〉ひいきにしたり気遣ったりしています。


 黒海とアゾフ海の形を白黒反転して見ると、ドイツ軍の戦車が機関砲をスターリングラードの方に向けている図が浮かぶと、前に書きました。


 1941年にバルカンに進出し終えたドイツ軍が、4か国同盟への誘いでスターリンに油断をさせておいて、その後クリミア半島やウクライナ方面に向かって、どう奇襲攻撃していくのか、それをバルバロッサ作戦と呼ぶのでしょうか?


 バーバリアンという語感が漂う作戦名ですね。


 前衛連載の不破論文の今後の展開が楽しみです。


 何度も何度も私は、クリミア半島の地図を見ていますが、隣国ブルガリアもその地図に一緒に出てきます。


 ウクライナの方からクリミア半島を見ると、雁みたいな鳥が羽をバタバタ言わせ、湖面を足で蹴って飛び立とうとしている姿になりました。


 この絵からは、雁の羽音や鳴き声まで聞こえてきそうです。平和と自由と民主主義を渇望する国民の気持ちが感じられそうな図です。


 その嘴の先には、母親の乳房のような、あるいはじゃんけんのチョキのようにも見える、ロシア側の半島があります。

 4.5キロのケルチ海峡です。もしかして大昔…そこにケルト族が住んでいたとか。フランスでもイギリスでもケルト族が生きていた地方は、なぜか半島部の辺鄙な地方だという傾向が感じられますので、ケルチ海峡もあり得るかも…


 と推理してみたら、もうケルチ海峡という地名は忘れはしなくなりました。


 ここに平和と友好・経済交流の橋かトンネルができたら、チョキではなく、それこそ母親の乳房のイメージのケルチ海峡となります。



 不破さんの前衛論文も、現代政治と重ねて読めば味わいが深くなります。


 さて、不破さんの論文を読んで、もうひとつ勉強になったのは、モンゴル独立の経緯です。


 モンゴルは、チベットや新疆ウイグルなどと並んで、清朝の中国を構成する1地域でした。


 モンゴルで社会主義革命が起きはしましたが、中国の内部の話であって、その独立をソ連が論ずることは内政干渉にあたることでした。


 それなのに、ソ連が対日参戦をする時の条件としてモンゴルの独立を持ち出して、アメリカが呑み蒋介石を説得し、その了解により、モンゴルが独立をしたことになったようです。


 ただ、1941年の段階での松岡洋右外相とのロシアでの交渉の過程で、モンゴルとともに新疆についても、ソ連の関心に留意するというような提起を、日本側からしていた経緯があります。


 新疆の話は、その後消えてしまいましたが、歴史のちょっとした弾みではモンゴルだけでなくウイグルも独立していた歴史の〈もしも〉もあり得たのかなと…

 私はわずかなタッチの差〜たった紙一重の差が、時間とともに大きな差を生んでしまう一例だったのではないかと、空想してみるのですが…


 今日のウイグル族の問題を考える時に…
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2014/3/6

1995年の阪神大震災の教訓は、通電火災を防ぐことでした…感震プレーカーの設置は?  村のあちこち村おこし

 阿蘇広域事務組合の議会で、地震の際の二次火災の予防策として、【感震プレーカー】の設置はどのように位置づけられているかと質問しました。


 全国の課長会議でも、感震プレーカー設置については話が出ていないとの答えでした。


 1995年の1月17日の阪神大震災の記憶は、いつの間にか20年の歳月になろうとしています。


 【通電火災】という言葉が教訓とともに生まれました。


 地震とともに停電となった時には、電熱器などはONのまま消えているため、停電が解消し電気が復活した時に、無人状態の電熱器なども同時にまた発熱を始め、火災になってしまう例が多かったという教訓です。


 これでは、建物の下敷きになっている人まで、生きたまま焼け死ぬ悲劇がありえます。


 対策として、地震を関知したらすぐにブレーカーが落ちて、通電火災を防ぐことが考えられます。

 私も感震ブレーカーという言葉は、テレビで聞いた覚えだけがあり、詳しくはありません。


 【1995】をテンキー表示すると、【19】と地震のショックを受けた瞬間に、ブレーカーが作動して、穏やかにOFF【95】になるイメージを描いて、私はしっかり記憶することにしようと思います。


 技術的・価格的に可能であれば、感震ブレーカーの設置義務づけに向かって進んでいってこそ、阪神大震災の教訓を生かすことになりはしないでしょうか?



 漏電ブレーカーというのはあるそうですけれど…


 災害をひとつ経験するごとに、しっかり教訓を得て私たちは賢くならなくてはなりません。


 さて、東日本大震災における教訓はどうでしょう。交通渋滞の発生メカニズムをはじめとして、様々な角度から研究が進められています。


 津波によって家屋とともに流された、たくさんのプロパンガスのボンベから、ガスがボンと次々に噴き出し火がつき、あたり全体が一斉に火災になった様子が、上空を飛ぶヘリから撮して記録されていた映像から、新たに確認されました。


 こんな簡単にガスが洩れるようであれば、生存者がいてもこれまたひとたまりもなく焼け死んでしまいます。


 ガスボンベにも何らかのショックに強い弁をつけるなど、ひと工夫を加えて、ガスが噴き出ないような構造にできないものでしょうか…技術的検討の必要を感じました。
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2014/3/6

スターリンのソ連が、日独伊軍事同盟に参加するつもりだった? 今となっては目を疑うような話ですが…  村のあちこち村おこし

 今年の9月から始まるNHK朝ドラのヒロインに、初の外国人が決まったそうです。


 シャーロット・ケイト・フォックスさんだと新聞にあります。私は勝手にシャロケイさんとニックネームをつけました。


 外国人ヒロインという狭き門を開いたのですから、Shallow 渓谷に立ったフォックスです。つまりこれを縮めて【シャロケイ】です。


 このフォックスは銀色の毛皮をまとってお【しゃれ】しているイメージです。


 過去の侵略戦争をなかったことにしたり、記憶を修正したりする安倍政権のような、偏狭なナショナリズムではなく、日本人の心の中に、グローバルな視点・意識を育てていかなくてはならない時ですから、私としても外国人ヒロインの採用は歓迎です。


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 さて今私は、不破哲三さんによる、『前衛』長期連載論文の中の第15章、【謀略のバルカン作戦(上)】を読んでいます。


 戦争がなぜ起きたかの探求をするためには、歴史を裏から表から理解していかなくてはなりません。


 〈事実は小説より奇なり〉


 戦後は連合軍の一員として、正義の味方の顔をして日本に臨んでいたソ連ですが、実は1939年の段階=独ソ不可侵条約をヒトラーのドイツと結んだ時点では、日独伊の三国同盟に加わり、日独伊ソの4か国で世界を4分割しようとしていた、いわば枢軸国と同列の国だったというのです。


 1939年のこの独ソ不可侵条約の成立を見て、欧州情勢不可解なりと言って総理を降りた人は誰だったでしょうか。


 スターリンが枢軸国の仲間入りをヒトラードイツから誘われて、本気で参加を考えていたことは、今日の日本ではあまり知られてはいないかもしれません。


 日本政府側がドイツ側から、ソ連を三国軍事同盟加入を働きかける計画を知らされたのは、ベルリン会談の前だったとか。


 4か国による世界分割案は(リッペントロップ腹案)と呼ばれるもので、腹の中に、【一片のドロップ(企み)】を隠し持っていたことが、後でわかりました。


 つまり、スターリンを騙し討ち…不意討ちするための4分割案でしたが、本音は日本には隠していました。


 近衛文麿内閣は、4か国同盟ができると信じたか最大限日本に有利になるように利用しようとしたか…1941年3月から4月まで、松岡洋右外相をドイツ・イタリア・ソ連の3か国訪問の旅に出しました。


 【1941】をテンキー表示してみると、真珠湾で沈む戦艦アリゾナのようでもありますが、もう1つ、ソ連との提携を求めて西北の国を歴訪した松岡洋右外相の旅程のようでもあります。


 またスターリンやモロトフとの握手を求めて差し出したもろ手にも見えます。


 日ソ中立条約は、【1941】年の4月13日に成立しました。4か国同盟に発展する一歩手前の条約だとスターリンに信じさせたようです。


 バルバロッサ作戦の開戦予定日は、5月15日。松岡洋右外相との4月13日の日ソ中立条約締結は、1ヶ月後の不意討ちを効果あらしめた結果になったように思います。


 こう見てくると、1941年というのは、12月の日米開戦もあるし、月ごとに情勢がクルクル変わる忙しい年ですね。


 戦争はなぜ起きたのか、孫子の兵法では、戦争の各段階ごとに、どうしたらよいのかを詳しく解説しているそうです。

 過去の戦争を理解するためにも、年号暗記だけでは不足で、段階を追って吟味するために月日で暗記もできることも望ましくなりますね。

 スターリンは対中国では、毛沢東の共産党よりも国民党の蒋介石の方を大事にしていたとは、私も図書館で歴史書を読み漁っていましたので知ってはいました。


 不破哲三さんの執筆からは、スターリンの側からの景色がうっすらと見えてきました。熟読してぼんやりした細部がはっきりと見えてくるようにしたいと思います。


 蒋介石が、当初日本と戦うより中国共産党と戦う方に力を入れていたことの裏側にも、スターリンが4国枢軸同盟に乗ろうという気持ちが潜んでいたかもしれませんですね。


 松岡洋右外相がドイツ・イタリア・ソ連との間を行ったりきたりして、最後にスターリンと会談して出した共同声明は、

『大日本帝国が蒙古人民共和国の領土の保全及び不可侵を尊重することを約す旨、また、ソビエト社会主義共和国が満州の領土保全及び不可侵を尊重することを訳する旨厳粛に声明し』
とあり、枢軸国と以外では初の事実上の承認になったという部分は、初めて知りました。


 しかし、謀略という点では、ヒトラーの方が一枚上だったようでした。


 バルカンにドイツが進軍していくのを、スターリンに対英国の行動だと信じさせ傍観させておいて、一気に全戦線でソ連領内に攻勢をかけたのですから。


 その結果としての、カスピ海にも近いスターリングラードという、ソ連領内深い地での攻防戦だったのでしょう。


 独ソ不可侵条約の【1939】年のテンキー表示は、【V】の字に見えます。


 これで世界4分割が近づいたと思ったスターリンは、(ピースピース)のチャーチルよろしく【Vサイン】しながら、にんまりしていたかもしれません。


 ドイツはここまで、ソ連はここまで…と、境界を区切る作戦をやっているものと信じていたようで…
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