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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2014/10/25

10月25日は特攻隊が初めてアメリカ艦隊に突っ込んだ日だとか(フィリピンにて)  村のあちこち村おこし

 NHKのニュース番組で知ったのですが、10月25日すなわち今日は、1944年にフィリピンに初めて特攻攻撃が行われた日なんだそうです。


 大西瀧治郎中将の発案のようで、何度も出撃しては悪天候などの理由で帰還し、最初に成功したのが10月25日になったみたいです。


 その日付けは朝日新聞の記事でも確認。空母セント・ローを撃沈した敷島隊でした。


 本居宜長の、
『敷島の 大和ごころを人問わば 朝日に匂う 山桜花』


 にちなんで、敷島隊・大和隊・朝日隊・山桜隊が編成されたとか。


 フィリピンの敗勢をなんとか挽回しようとの思いで編成されたようです。


 大西瀧治郎は、終戦の翌日・8月16日に割腹自殺をしたとか。大西瀧治郎の名前は、西原村の瀧の大治郎でこじつけて覚えました。


 選ばれた(形式的には自ら志願した)若者たちが、憤怒の気持ちをほとばしらせて、旅館の床柱に、力任せに刀傷を付けている跡が発見されました。

 亡くなった作家が残していた取材手帳がこのほど発見されて取材が進んだようです。


 とかく自己犠牲的な、(神)として美化されてきた特攻隊員たちの、実はやるせなく憤怒にまみれた、本当の心が伝わってきました。


 まだまだ人生にやりたかったことがたくさんあったでしょうに、なぜ壮健な自分の命が絶たれなければならないのか?必死に自分の心に納得させようと努めていたというのです。


 私は10月25日という日付は、これはしっかり記憶に留めなければならないなと思って、じっと見つめました。


 するとまことに都合のよいことに、1025はトオ・ッ・コ〜(特攻)と読めることに気づきました。


 これは偶然にしても、奇妙なほど覚えやすい日付です。


 どのようないきさつで特攻攻撃という、作戦の外道が実施に移されることになったのか、特攻隊は誰が命令したのか、敷島隊の突入と戦果の報告を受けて、天皇は
『それほどまでにせねばならなかったか…しかしよくやった』
と。


 (よくやった)と、事後承諾がなされた格好で、しかも称賛ですから、外道の作戦が継続され、やめる訳にはいかなくなりました。


 特攻作戦は誰が命令したのかと問われた時に、誰も命令していないが承知はされていたという微妙な、日本独特の責任の所在が曖昧なパターンがここに潜んでいます。


 特攻隊で出撃していった青年たちは、あくまでも自主的に『熱望した』ことになっています。


 満州事変は事後承諾・熱河侵攻は事前承諾、事後阻止したかったが断念。日中戦争は事後承諾。

 特攻隊も事後承諾。


 ズルズルと引きずられた戦争の実態を見るとき、『進むを知って退くを知らなかった』という言葉が重要性を帯びてきます。


 ある要人が日本共産党を弾圧したことが間違っていた…と言ったとか。


 今、安倍政権は国会にかけずに集団的自衛権に舵を切るだとか、日米共同の軍事行動ガイドライン(指針)の改定に向けた中間発表をやって、日本周辺という地理的な制約を取っ払って、地球の裏側まで…また、非戦闘地域での後方支援に限っていたところから、戦闘地域にまで行って米軍支援するという踏み切りを発表しました。



 国会審議より先に既成事実を次々に積み重ねて、事後承諾・事後承諾と引きずっていく、満州事変以降の戦争突入と同じやり方をしています。


 だから大変危険です。このような政権誕生をもたらしたのは、1994年に一旦は参議院で否決されて小選挙区制が廃案になるかに見えた土壇場で、土井たかこ議長が細川首相と河野自民党委員長との対談を設定し、両院協議会を開いて、しかもそれまで審議してきたものよりもさらに改悪して可決させるという超ウルトラC的な荒業調停で、採択にねじこんだのでした。


 小選挙区制の導入が政治改革だ、改革を留めるなとのマスコミ大合唱に惑わされて、土井議長が強引に採択に持ち込んだために、てきめんに社会党の衰退・社民党の衰退に直結しました。


 その結果が今日のどうしようもない超右派政権誕生で、暴走につぐ暴走をやっている…このような現在の情勢をもたらしたものは、1994年の1月下旬の土井議長の荒業だったことを思い起こすたびに、一体どこが護憲の人生か護憲の政党か、煮えくりかえる思いをしています。


 私は、土井たかこさんには、おなくなりになって、死者に鞭を当てる訳にはいかないと、しばらく批判を我慢していましたが、改憲勢力の勢いを目の当たりにしている今、細川・河野両氏も小選挙区制はよくなかったと反省の弁も聞かれる今、もう一度平和と民主のために、小選挙区制を廃止するように力を合わせる時です。



 戦前・戦中と違うのは自民党と公然と正面から対決している日本共産党と新聞・赤旗が存在していることです。


 東京に行ったら、靖国神社を訪問して、特攻隊員がどのような祀られ方をされているか、A級戦犯はどうかを確認したいと思います。


 その場に行って、インスピレーションは何を私に語りかけてくるか、黙して耳を傾けてみたいのです。


 イラク派遣の自衛権の部隊は、棺を五個秘かに持って行っていたそうです。


 米軍帰還兵の自殺数と戦死者の数との対比から、10:1の見当です。

 イラク派遣の自衛隊員の自殺者が50人との話でしたから、棺が五個用意されていたことは、大体の数字の見当は合っています。


 何度も砲弾が飛んできましたが、戦死者が出なかったのはかろうじて日本国憲法9条の防護壁によるものだったかもしれません。
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