2009/9/5
俳句は忘れていたことを簡単に思い出す力があります。【想起術】の鍛練ができそうです。 村のあちこち村おこし
記憶術の本には、どれも五感を働かせたイメージを作ることが大事だと書いてあります。
私は高校の頃、渡辺剛彰氏の【記憶術】の本にしたがって、目をつぶってイメージを描く練習をしてみたのですが、眠くなるばかりで一向にうまくできませんでした。
そこでもっぱら英語の単語を覚えるのに応用しました。何回も辞書の例文を書きながら唱えながら、イメージを描くことにしました。
その結果、英単語の実力試験では済済黌の3年間連続して学年断然トップを維持することができました。
56になっても、韓国語に取り組んでいるのは、記憶力をいかに高めるかというノウハウを窮めたいという欲求が今もなお燃えているからです。
私は、【記憶術】をもっと多くの人が、習得することができれば、スペインの【歴史の記憶法】のような法律を制定したのと実質的に変わらない効果が生まれてくるのではないかと思います。
歴史の年号やできごとをみなが楽々と、嬉々として暗記を楽しむようになると、例えば、関東大震災で朝鮮人6000人・中国人700人が虐殺されたことがなぜ起きたのか考えてみようとか、界隈を歩いてみよう…など、解明への意欲も湧いてくるし、1年に1回の式典はこじんまりとしか開催できない状況かもしれませんが、歴史散策ボランティアの案内を受けながら、歴史探索の角度から犠牲者を悼む気持ちになるということもありえるのではないでしょうか?
【知・情・意】と言いますが、【知】力を高めることによって歴史の過ちを教訓として深く刻もうという【意志】を育むことも可能になってくるのではないかと思うのです。
私は、そういう意味で、俳句に多くの人が親しむことによって、イメージを頭に描く能力を高め、結果として【歴史の記憶術】から【歴史の記憶法】へと進むことを期待しているのです。
俳句を風流ではなくて、記憶力向上に…という観点に立って取り組むならば、その作者がどんなことを言いたかったのかなどの詮索は、後景に退いてしまいます。
例えば、
古池や蛙とびこむ水の音
という有名な句も自分にとっては、松尾芭蕉がどこで詠もうが関係なく、私が知っている池田町から済済黌への通学路にあった緑の藻に覆われた【あの】ため池のことだと決めているのです。
そうして【記憶術】に役立てるのです…しかしそうしているうちに、すっかり忘れていた子どもの頃の記憶が鮮やかに甦ってきますので、自分の人生とははたして何だったのかという思索にもなってこざるを得ません。
俳句というのはなんと隠された可能性がある文芸なのでしょうか…
さて効能がきはこのくらいにして、9月4日のNHK【今日の一句】です。
● 雨音のかむさりにけり虫の宿 松本たかし
(かむさり)とは重なる意味でしょうか?でも私には(神去りにけり)という解釈で聞いてしまいました。
虫の宿とは、私にとっては二本木にあったわが家です。なぜなら、夏になると茹だるような暑さにバテながらも机に向かうと、窓の外はすぐに畑で、虫が啼く草むらに接していたからです。
スーイッチョ、ギ〜など、いろんな音が遠く近く物憂い大合唱をしていたのです。
もちろん手元には虫かごがあり、草の葉っぱをたくさん入れて自然観察。これも【虫の宿】なら、窓からキリギリスが細い葉の上に位置を定めて髭を動かすのを眺めることができる、この小さなわが家自体も【虫の宿】です。
突然ゴロゴロという雷とともに大粒の雨が降りだすと、屋根に当たる音がします。
神去り…雷鳴ひどかった夕立もピタッとやみますと、いつの間にかまた【虫の宿】です。
やはり、瓦屋根の家では雨音は聞けません。父がおそらくはインドネシアで兵舎(バラック)を作った経験があったのでしょうか…あばら家だったからこそ、雨音を聞くことができたのだと思います。
チントンシャン・チチトンシャン…と洗面器の上に落ちる雨垂れの音も楽しいものでした。
雨音のかむさりにけり虫の宿 松本たかし
0
私は高校の頃、渡辺剛彰氏の【記憶術】の本にしたがって、目をつぶってイメージを描く練習をしてみたのですが、眠くなるばかりで一向にうまくできませんでした。
そこでもっぱら英語の単語を覚えるのに応用しました。何回も辞書の例文を書きながら唱えながら、イメージを描くことにしました。
その結果、英単語の実力試験では済済黌の3年間連続して学年断然トップを維持することができました。
56になっても、韓国語に取り組んでいるのは、記憶力をいかに高めるかというノウハウを窮めたいという欲求が今もなお燃えているからです。
私は、【記憶術】をもっと多くの人が、習得することができれば、スペインの【歴史の記憶法】のような法律を制定したのと実質的に変わらない効果が生まれてくるのではないかと思います。
歴史の年号やできごとをみなが楽々と、嬉々として暗記を楽しむようになると、例えば、関東大震災で朝鮮人6000人・中国人700人が虐殺されたことがなぜ起きたのか考えてみようとか、界隈を歩いてみよう…など、解明への意欲も湧いてくるし、1年に1回の式典はこじんまりとしか開催できない状況かもしれませんが、歴史散策ボランティアの案内を受けながら、歴史探索の角度から犠牲者を悼む気持ちになるということもありえるのではないでしょうか?
【知・情・意】と言いますが、【知】力を高めることによって歴史の過ちを教訓として深く刻もうという【意志】を育むことも可能になってくるのではないかと思うのです。
私は、そういう意味で、俳句に多くの人が親しむことによって、イメージを頭に描く能力を高め、結果として【歴史の記憶術】から【歴史の記憶法】へと進むことを期待しているのです。
俳句を風流ではなくて、記憶力向上に…という観点に立って取り組むならば、その作者がどんなことを言いたかったのかなどの詮索は、後景に退いてしまいます。
例えば、
古池や蛙とびこむ水の音
という有名な句も自分にとっては、松尾芭蕉がどこで詠もうが関係なく、私が知っている池田町から済済黌への通学路にあった緑の藻に覆われた【あの】ため池のことだと決めているのです。
そうして【記憶術】に役立てるのです…しかしそうしているうちに、すっかり忘れていた子どもの頃の記憶が鮮やかに甦ってきますので、自分の人生とははたして何だったのかという思索にもなってこざるを得ません。
俳句というのはなんと隠された可能性がある文芸なのでしょうか…
さて効能がきはこのくらいにして、9月4日のNHK【今日の一句】です。
● 雨音のかむさりにけり虫の宿 松本たかし
(かむさり)とは重なる意味でしょうか?でも私には(神去りにけり)という解釈で聞いてしまいました。
虫の宿とは、私にとっては二本木にあったわが家です。なぜなら、夏になると茹だるような暑さにバテながらも机に向かうと、窓の外はすぐに畑で、虫が啼く草むらに接していたからです。
スーイッチョ、ギ〜など、いろんな音が遠く近く物憂い大合唱をしていたのです。
もちろん手元には虫かごがあり、草の葉っぱをたくさん入れて自然観察。これも【虫の宿】なら、窓からキリギリスが細い葉の上に位置を定めて髭を動かすのを眺めることができる、この小さなわが家自体も【虫の宿】です。
突然ゴロゴロという雷とともに大粒の雨が降りだすと、屋根に当たる音がします。
神去り…雷鳴ひどかった夕立もピタッとやみますと、いつの間にかまた【虫の宿】です。
やはり、瓦屋根の家では雨音は聞けません。父がおそらくはインドネシアで兵舎(バラック)を作った経験があったのでしょうか…あばら家だったからこそ、雨音を聞くことができたのだと思います。
チントンシャン・チチトンシャン…と洗面器の上に落ちる雨垂れの音も楽しいものでした。
雨音のかむさりにけり虫の宿 松本たかし

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ
→トラックバックのより詳しい説明へ