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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2013/3/28

田添鉄二が熊日の『射程』で紹介されました。  村のあちこち村おこし

 【田添鉄二】というと、横井小楠や徳冨盧花などをはじめとする、明治以来の熊本の進歩性を証明する人物のひとりです。


 肝心の熊本県人にはあまり知られていなかったことが残念でした。


 それが熊日に紹介されて、嬉しくなりました。


 今月ふるさと熊本市内に顕彰碑が建てられたのです。


 日本の社会主義運動では、幸徳秋水の少数者による直接行動主義に対して、多数者による平和的な社会変革を呼びかけた人物ということですから、現在の日本共産党の路線の大先輩と言っても過言ではないかもしれません。


 わずか32歳で1908年に亡くなったとは、あまりにも早逝でした。


 私も旧飽託郡中緑町に顕彰費建立・除幕式に立ち会いたかったのですが…


 田添鉄二は東京からでも全国どこからでも、顕彰碑にお参りに来てもらえる人です。


 田添鉄二も熊本英学校の出ですから、ジェーンス先生の影響もいくらかあるのでしょう。


 先日、熊本城のかつて思い出深い『城内プール』の跡地にできた『城彩苑』に足を運びました。


 偶然、ジェーンス先生に関連した催しがあっているのを見つけて、引き込まれるように二階に上がっていきました。


 扉を開くと、猪飼隆明阪大名誉教授のお顔もありました。しかし、講演はすでに終わった後だったようでした。


 その代わり演劇があっていました。ジェーンス先生がどのように英語を教えていたかを、九学の生徒たちがジェーンス先生の生徒になって、再現していました。


 そこで行われていた、English through Englishというやり方は、熊本英学校の伝統となって広がっていったでしょうか?


 その後、この教授法は一般的には採用されなかったが故に、英語力の乏しい日本になってしまっていました。


 しかし、最近になって学校での英語教育の中に、英語で英語を教えることが採用され始めたとのことでした。


 熊本英学校で、すごい英語力を身につけたであろう田添鉄二は、シカゴ大学まで行って最新の思想に接することができたという遠因となったのでしょう。


 まさにあざなえる縄のように、原因は結果を産み、その結果は次の原因となり、次の結果をもたらすというのが、如実に示されているのが、熊本の歴史のようです。


 ただ、熊本の歴史には江戸時代から政争があり、保守的な、あるいは軍国主義的な流れもありますから単純ではありません。
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