2016/1/29
益川敏英教授の生き方と、永田忍先生の 村のあちこち村おこし
これは今度の赤旗日曜版ですが、ノーベル賞を受けられた益川敏英・京都産業大学の教授のことが出ています。
そしてその文章の中に、私が宮崎大学の応用物理学科の時に教わった、恩師・永田忍さんのことが、出ているではありませんか。
嬉しくて涙が出そうです。
永田忍先生は、研究と運動の二足の草鞋を履けなくては一人前ではないと言われたとのことです。
それは、私が研究室で言われたことと同じで、急に永田忍先生の声とお顔と少し斜めに肩を傾けて黒板に向かっておられた姿も蘇ってきました。
なかなか活動と学問との両立ができないで苦しんでいたのですが、両立ができてこそ一人前だよ…と言って頂いたのです。
京都の先生のもとに年賀状などを、たまに送っていました。
ある時、先生の遺品である背広を、奥様が送って下さいました。
これはつまり、その後も活動に粘り強く頑張っている、この田島のことを、励まして下さったものと思いました。
今は京都産業大学の教授であり、また京都大学の名誉教授でおられる益川敏英先生、スウェーデンでのノーベル賞受賞スピーチで、平和のこと・戦争のことを話した人は、益川敏英さんともうおひとりしかないといいます。
立派な生き方ですね。
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そしてその文章の中に、私が宮崎大学の応用物理学科の時に教わった、恩師・永田忍さんのことが、出ているではありませんか。
嬉しくて涙が出そうです。
永田忍先生は、研究と運動の二足の草鞋を履けなくては一人前ではないと言われたとのことです。
それは、私が研究室で言われたことと同じで、急に永田忍先生の声とお顔と少し斜めに肩を傾けて黒板に向かっておられた姿も蘇ってきました。
なかなか活動と学問との両立ができないで苦しんでいたのですが、両立ができてこそ一人前だよ…と言って頂いたのです。
京都の先生のもとに年賀状などを、たまに送っていました。
ある時、先生の遺品である背広を、奥様が送って下さいました。
これはつまり、その後も活動に粘り強く頑張っている、この田島のことを、励まして下さったものと思いました。
今は京都産業大学の教授であり、また京都大学の名誉教授でおられる益川敏英先生、スウェーデンでのノーベル賞受賞スピーチで、平和のこと・戦争のことを話した人は、益川敏英さんともうおひとりしかないといいます。
立派な生き方ですね。

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