韓国アニメ映画『マリといた夏』を見ました。
声優
イ・ビョンホン
アン・ソンギ
コン・ヒョンジン 他
或る雪の日、ナムは何かが起こることを知っていたかのように、落ち着かない態度を見せていた。
窓の外を見ると、雪が積もった小枝にビルの谷間を飛んできたカモメが一羽とまっている。
まるで子供の頃の、あの何かが訪ねてきたように・・・
と、その時彼の携帯が鳴った・・・
小学生の頃、無二の親友だったジュノからの電話だった。
久しぶりに出会った二人の懐かしい話は尽きない・・・
いつしかナムの記憶は、二人の小学生時代に還っていた〜〜〜〜〜〜〜
もうすぐ夏休みという田舎の漁村の小学校・・・
ナムは幼い頃漁で父親を亡くし、母親と祖母に育てられていた小学生・・・
貧しい家庭に育ったナムは内向的な性格で、猫のヨーと親友のジュノとしか遊ばない子だった。
一方の親友ジュノは、夏休みから家族と一緒にソウルに引っ越すことになっていた。
その学校にはスギという女の子がいて、ガンボウな男連中の誰もがこしを引く存在だった。
さすがのジュノも彼女にはかなわない・・しかしそのスギが、なぜかナムを見る目つきは他の男の子よりも違っていた。
ナムは学校の近くの文房具店で、人が中で飛んでいるようなビー玉を見つけるが、驚いた拍子にビー玉の中に落としてしまい、それ以来探しても見つけることが出来ない。
しかし、偶然猫のヨーと古い灯台の中で遊んでいて同じものを見つける。
或る日、それをポケットに入れたまま灯台の中で遊んでいて、ナムはふしぎな体験をする。
可愛い生き物を見つけ、それを追いかけて灯頂に登ったナムは強い光に包まれて、たちまち別世界へと旅立つ・・・
それ以来、ナムは度々その世界に迷い込み、白い大きな犬と一緒に宙を舞うマリという女性と出会う・・・
しかし、マリはいつも“一緒にはいられないのよ”とささやく・・・
或る日ジュノの父さんが最後の漁に出かける・・この漁が終わったらソウルでゆっくりしようと家族と約束しながら・・・
しかし、あいにく漁に出たあと海は大しけに襲われた・・・
船長が倒された後、ジュノの父さんが「頼む」と荒れた空を睨みながら、漁船のハンドルを握る・・・
ジュノと最後の夜を一緒に過していたナムは、怖がりのジュノを叱咤しながら灯台に登ろうと言う・・・
大荒れの海が迫り来る中二人はやっとの思いで灯台の灯頂に登る。
何も起こらないと思った瞬間、灯台をめがけて雷が落ち、ナムは一人っきりの空間に閉じ込められる。
誰も来てくれないたった一人の空間・・・
おとうさん、お母さん、おばあさん、ヨー・・・と叫んでも、誰も現われない・・・
『一人っきりにしないで・・』と叫んでも、誰も答えない・・・
マリが宙を漂いながら、現われてもすぐに遠ざかっていく・・・
しかし、港では奇跡が起こっていた。
灯台を中心に、あの大しけが嘘のように静まり返っていき、漁に出ていたみんなは無事に港の家族の元に・・・
いよいよ、ナムとジュノのお別れの日が来た・・・
ナムはそっと大切なビー球をジュノに渡す・・・
汽車が動き始めナムがお別れの手を振る、そのそばではあれだけジュノが嫌いだと言っていたスギが並んで見送る。
スギ有難う・・・と小さくジュノがつぶやく・・・
〜〜〜〜〜それから何年経ったのだろうか
大人になったナムとジュノの会話が再開する・・・
ジュノの父さんは、しけで船を無くしたが海に出ると元気だ・・・
最近スギに出会ったが、あのスギが教師をしているらしいが信じられるか?
とたわいのない話をしながら、ジュノがあの思い出のビー玉をナムに返してきた。
ジュノと別れた帰り道・・・
バスの中でそっと箱の中のビー玉を眺めるナム・・・
まるで少年時代に戻ったようにバスが走る。
いっちゃんの追想録・・
このアニメ映画を見始めた最初は、日本の宮崎峻のアニメに似通っているのかなという感触を持っていましたが、見終わった後はすこし違うような感触を持ちました。
映画としての表現する言葉が少なく、見るものが考えて初めて判る映画だなという感じです。
昨今の韓国ドラマのように、詰め込まれた言葉で理解するというのではない為、漫然と見ていたのではストーリーも、監督が何を訴えたいのか何も判らない・・・
しかし、見る方が考えるという観点で見ていくと味の有る映画だったと思います。
日本の宮崎アニメもあまり多くを語らないという面はありますが、決定的に違うのは日本のアニメが純粋にノスタルジックなものだけを追い求めているのに対して、この韓国作品はそれを追いながらも、やはり人間の人生を考えさせるものも強く求めている。
やはり、これは韓国という国土に根ざしたものなのでしょうね。
ビョン様が応援頼むぞとおっしゃってます → 

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