2006/2/19

採点競技のあや3 今年のタイムバトル  モテラ(Mote-La)ニュース

その限りなく公明正大に近い魅力を放って、いっぱしの形になってきたモテラ。
タイムバトルゲームがそれに果たしてきた役割は大きかったのだが、今年のレギュレーションが大きな波紋を呼んでいる。

もちろん、その走りの美しさをドリフト大会のように採点してチャンピオンを決めましょう、ということになった訳ではない。5戦が4戦になり、そのうち2戦がいかに自らの走りをコントロールできたかに変わるというだけで、その基準は明確にタイムを測定して決める。
何をどう決めても本当に公平ということはありえない。そもそも人間社会は不公平なものなのだ。そこをどのように生きるかのドラマ、誰がどのように生きるかが見れなくては面白くないし、勝ったものが、その不公平なところを認める態度に欠けてしまえば、せっかくの栄冠を讃えてくれるコミュニティが成り立たないだろう。
もちろん、競技に対する理解度の違いで認識は変わる。しかし、何が肝であるか、競技に関わる人間、オーガナイザーが認識を誤ってしまえばもともこもない。
不公平であることそのものは、なにも問題ではない、問題はその不公平が明らかでないこと、それによって利を得ている人間が謙虚な姿勢を忘れることだ。
さらに、いえば出来るだけ不公平をなくす配慮がされていて、それを克服する配慮もなされているならば、強者がいらぬ規制を受けることも不自然な不公平になる。
なかなか難しいものだが、アメポチ、コイズミのえせ改革とは違い、モテラは実にさわやかな世界であった。これからもそうあり続けることを願いたい。
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