某月某日。
日本列島は今年も猛暑に襲われた。
灼けつくアスファルトはとうに限界を超え、遂には溶け始めた。粘り気を含んだアスファルトに脚をとられて転倒したのであろう、路の彼方此方に人型の凹みが出来、その凹みの胸の辺りにTシャツのプリントが熱に溶け、逆さに転写されているのを数多く見かけた。「クッロジフ」「ンドンロ・コチミ」「eeL」…。
かくいうオレも恥ずかしながら、東高円寺に向かう道の途中、環状七号線の歩道でこけてしまったのだ。しかしオレは生まれついてのネイチャー・ボーイ、暑い夏には服なんて野暮なモノは身に着けないから、凹みに貼り付いたのはTシャツ・プリントなどではなく、鍛えあげられた胸に生やした、そう少なくはない胸毛と、陰毛が少々。どろどろのアスファルトから起き上がった向学心旺盛なオレは真夏の路上がエステティック・サロンに成り得る事を識り、メモ代わりに持ち歩いている木簡に、くれたけ筆ペン(淡墨)で「我喪フ、幾許カノ体毛、灼ケツイタ黒炭舗装道路ニテ」としたためた。仮に暑さのせいでこの旅の途中行き倒れても、この手にしっかと握りしめられた木簡を発見した誰かがオレの強靭な心根を理解して涙してくれるだろう。因みに流石のオレも、膝下5センチにソックタッチで留めたハイソックス(スポルディング)と黒いズック(リーボック)は履いている。じゃないと、アチチ、アチチと跳びはねたようなステップになり、はしゃいでいるみたいに見えてしまうから。そんなの軟弱だから。
こうも暑いと、冷たいモノを欲してしまう程度には新人類であるけれど、進駐軍の置き土産であるところのアイスクリームとやらを食べるような非国民ではない。日本男児なら勿論、夏はスイカと…素麺である。ソ・ウ・メン!おりしも今日、東高円寺にソーメンの妖精が舞い降りる、との情報を掴んだのである。情報源はどこ?との質問には残念ながらお答えする事は出来ない。探偵時代、ブン屋時代に培ったコネクションを他人に知られては困る。でも、賢明な読者諸君にはコッソリヒントを与えよう。最初にヤがつくアレである。(→正解:ヤフー!ジャパン)…兎も角、ソーメンの妖精を目撃する為にオレは東高円寺に向かっているのだ。なんなら生け捕りにしてもいい。そして日テレの世界の不思議を紹介する番組に突き出してやろう、かと企んでいる。100万円が貰える、との噂である。100万円あったら、新しいリーボックが買えるな…。
途中のコンビニで素麺のつゆとサクランボのシロップ漬けを買う。ひっ捕らえた素麺の精とやらをツユダクにしてやろう。濃縮のつゆだが、水で薄めたりなんかはしない。オレは容赦をしない冷血な男なのだ。素麺の付け合せとして古くは日本書紀にも記されているサクランボのシロップ漬けは、胸に僅かにのこる体毛に括り付ける。素麺の精をひっ捕らえる為に踊るフリをしながら近づく。胸毛の先に括られたサクランボはオレの動きに合わせて軽やかにホップする。サクランボの可愛らしい動きに素麺の精とやらが油断した隙に、一網打尽、というワケ。宮本武蔵も真っ青の作戦である。あぁ、自分の才能が怖い。
「あっ!エレファントマンが歩いてる!」UFOCLUBの店員が余所見した隙に侵入を成功させた。薄暗い店内、SE(ガンズアンドローゼス)が鳴り止み、カーテンが開く。唾を飲み込み、親も嘆いた三白眼でステージを睨みつける。そこには素麺の精が2人、凱旋した兵士達のように誇りに充ちた表情で楽器を構えている。お互いに目を合わせ、息を少し吸い込むや否や…演奏が始まった。…先ずは油断をさせる為に踊るのだ。サクランボをホップさせるのだ。元よりダンスには自信がある。ヤヌスの鏡を観て覚えたタッチン仕込みのブレイクダンスだ。ソーレ!
…アレ?楽しい!…?いや、馬鹿な。さぁ、素麺の精をひっ捕らえるのだ、自分!アップテンポのラップに合わせ、背中でスピン!サクランボにたっぷり含んだシロップが遠心力で四散し、オレの周りの客が後退りする。立ち上がり、サンバのステップ!オーレ!シロップの付着したリーボックのソールがキュッキュ鳴る。キュッキュのビートに気付いた妖精が演奏の歩調を合わせてきやがる。…アンサンブル!オレたちいま、敵味方の垣根を超えて、ジャムってんだゼ!キュッキュ!じゃかじゃか!キュッキュ!じゃかじゃか!
…それからどの位の時間が経ったのだろう。気付けば汗ダクのオレの胸から提がったサクランボの実は遠心力で何処かに吹っ飛び、枝の先には種だけが残る。キスの上手なお嬢さんに翻弄されたみたいに。3連のロッカバラードでサヨナラのメッセージを奏で、汗と涙とめんつゆとシロップでグシャグシャになったオレを残し、涼風を置き土産に素麺の妖精は去っていった。
素麺の妖精達が袖から垂れたエルビスやスライストーンのようなソーメン(或いはのれん)状の衣裳の一部をはためかせながら、オリエンタル・ソウル・ナンバーの途中で投げた蜘蛛の糸…おそらく素麺を模したのだろう…を見つめながら自宅の一室でこの文章を(もちろん、木簡に)したため終わろうとしている。彼女達の煌めくようなステージにアテられて三白眼の白眼部分の面積は減り、アイドルのように黒目がちになったオレの頬には、あの晩のエレガントな思い出をなぞるように一筋の麺つゆ、否、涙が流れている。最後に、素敵なソーメン・メモリーをお中元よろしくプレゼントしてくれた妖精ちゃん達のバンド名を記しておこう。
…その名は…前肩!
おわり。


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