さて。
勤め先に向かう時に、かなり早く家を出て、二駅分歩くのが、晴れた日の日課になっている。無為に歩き回るのがちっとも苦痛では無い。あ、無為では無く、通勤途中ではないか、と一瞬考えたが、通勤とは切り離して、わざわざ時間を設けて歩いていて、その歩く行為自体に大した目的は無いので、やはり、無為に近い散歩である。できるだけ識らない道を歩き、識らない景色を観たい、と思い、大体の勤め先の方角を外さないようにした上で、スケールの小さい迷子を心掛ける。面白い景色や目的地ではなく、まず、観た事無い、が先に来るので、ほぼ、何でも無いような所を歩くのが常だ。歩いた先に面白いものがあったり、散歩中の猫にでも出くわせば、儲け物、くらいに思っている。この、自分で設けたハードルの低さ、結構気に入っている。期待というのは、すればするほど、落胆は大きい。散歩にはあまり高くを望まない。掛け金ゼロ、配当はあっても何銭とか、そういう弱火な賭博みたいなものであろうか。そういう無為な散歩でも、仕事前の時間故、最終的には、ターミナル駅に到着する事になる。そこから地下鉄に乗って、勤め先に向かうのである。ターミナル駅の近くの、円型大型広場にて、古本市をやっていた。何か、面白い本でも無いか、覗いてみた。禁断の領域である、観光地絵葉書を物色してみた。あの、着色の現実感の無さが、昔から心の奥底をジワジワと刺激していたのだけれど、いい機会だから、安いし、買ってみた。みうらじゅん氏のカスハガ、水曜どうでしょうの絵葉書シリーズ等で、大体の感じは掴んでいるつもりだったが、やっぱり「なんでこの景色をこの構図で撮ったのか」みたいな絵葉書が本当に入っていて、嬉しくなる。買わせたもん勝ちの世界。何とも言えないサムシングが、絵葉書という小さい世界に、中途半端な姿勢でくつろいでいる。強いでも弱いでも熱いでも冷たいでも無く、形容詞さえも用意されていないような感覚。クセになりそうである。おわり。


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