いつまで書いたかわからないけど多分、高校3年から、秋期選手権で優勝して、県チャンピオンになったが、高校駅伝前だったから、高知工業や、高知農業とかの強豪はでてなかった、最後の高校総体は、絶対地力で四国総体に行くんだ(過去2年はリレーの補欠でつれてってもらった)と決めていた、最後の総体、県内の強豪選手もそろい役者は揃った、ドキドキしながら控え室で待った、県総体は5月、もう随分前だが、あの時の春野は忘れない、正面玄関前の直線でダッシュを繰り返しアップしたことも、サブ競技場から集中して降りてきたことも、一年生の時、その当時三年生だった芝くんにもらったアシックスのLDジャパンとゆうスパイク、針は四本しかない限定モデルをもってコールにいった、白いユニフォーム、緑色のハチマキ、ハチマキにはチームメイト全員の寄せ書きが買いてあった、頼んだ、キャプテン、目指すならIH いつものように頑張れ、リラックスリラックス。今でも年に一回は必ず集まる仲間からの寄せ書きを丁寧に呼んで頭に巻いた、鼻腔テープを鼻に、スパイラルテープを喉と脚に、最後にスパイクを履いて、スタートラインにたった、スタートすると、先頭が1人一気に前にでた、高知工業のS田くん、彼とはその後大学時代にも戦うこととなる、あっとゆうまに差をつけられたが二位集団をキープ、途中で宿毛工業のY口が水郷でころんだ、けどかまってられないそのまま走った、ラスト300いつものようにラストスパート、9分52 タイムはいまいちだけど二位になった、本当に嬉しかった、地力で四国にいけることが、本当に嬉しかった、チームメイトも110H、400でそれぞれ、2位、3位となりまた男子3年は3人全員が四国にいけることになった、引退が少しのびた、四国大会の地は2年後生活拠点となる愛媛だった、もちろん当時はそんなこと知るよしもなかったが、松山で戦えることがとても嬉しかった、つづく

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