中東の笛問題から日韓でやり直しとなった五輪ハンドボール予選大会は男女共に大いに盛り上がった。残念ながら男女とも実力で勝る韓国が切符を手にした。まだ世界最終予選があるが強豪相手だけに日本が勝ち残る可能性はゼロに近い。
それにしても日本ではマイナーなスポーツだったハンドボールが中東の笛を契機に俄に脚光を浴びてブームになった事には驚いた。この背景には日本民族特有の判官びいき気質と共に、皆がやるから自分もやると言う付和雷同のミーハー気質があるように思う。
球場に駆けつけた若者の多くがハンドボールを観るのは初めてだと言っていたし、不公正な審判に耐えてやっと公正な審判体制の下で代表を争うのはカッコ良いと言っていた。前にもカーリングが急に人気が出たことがあったが、ほんの一瞬の人気で早くも忘れられつつある。俄ブームは所詮儚いものであるから却って当事者達に対して残酷だと思う。日本人と言うのはいかに主体性が無いかの証であり嘆かわしい。
私はへそ曲がりだから皆が向かう方向と逆の方向に行きたくなる。主体性の無い人は余り物事を深く考えない人が多い。自分の意見を持たないから、大勢や流行に従う。これ程情けない生き方は無い。平素からちゃんと自分の価値観を確立してアイデンテイテイを持っていれば他人が如何動こうが関係なく、自分で判断するものである。たかがハンドボールくらいでがたがた言う事も無いが、一事が万事であり、ハンドボールで付和雷同することは即ち殆どの事に付和雷同することを意味する。付和雷同は日本人の協調性の良さと言う一面を表わし、良い点もあるが、欧米人からは最も軽蔑される性向である。日本人を一つの方向に纏めるのは簡単であるが、纏まっても一体となって動くとは限らない。欧米人を纏めるのは大変だが、一旦纏まると大きな力を発揮する。どちらが良いか解らないが付和雷同組みは所詮弱い団結だから頼りにならないものである。
ハンドボールの選手諸君も俄ブームなど直ぐ消える事を自覚して振る舞って欲しいと思う。

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