昨日エイジシュートについて書いたが、件の奥さんは私のブログの愛読者なので屹度ばれていると覚悟していた。今日練習場に行くと早速ご夫婦でお見えになった。ぼろくそに書かれてさぞや怒っていると思いきや、奥さんは開口一番褒められたのか貶されたのか良くわからないとニコニコしている。手には私のブログを数枚プリントアウトして持っている。自分達のことを立派な文章にしてくれて光栄ですと言ってからそれを次々来る仲間に配ってあちこちで大きな笑いが起きている。どうやら好評らしい。これだから年寄り仲間は好きである。若い人相手ではうっかり冗談も言えないが、年寄は何を言われても柳に風と受け流しウイットとユーモアを解することが出来る。
私自身短気で怒りっぽい性格だったがこの歳になると滅多に腹を立てなくなった。政治家や官僚には腹を立てても、一般人に対してはおおらかなものである。但しゴルフでは自分に対して猛烈に腹を立てることがあるが、これもヘボの証拠である。
経験を積み加齢とともに熟成して来ると何事も有りの儘に受け入れる姿勢が自ずから出来てくる。大宇宙に比べれば地球だって豆粒のようなちっぽけな物体で、況や人間の存在など余りにちっぽけ過ぎて取るに足りないと思えてくる。悠久の歴史と未来永劫に過ぎ行く時間と言う線の中で僅か80年の人生など一瞬の点に過ぎない儚いものであることが否応無く解ってくる。くよくよ悩んでもいらいら怒っても所詮一歩ずつ死に近付いているのは間違いない。同じ限られた時間を過ごすのなら前向きにニコニコ笑って過ごす方がいい。いい歳をしてカッカしている老人を見るとアホかいなと思う。
老人力と言う新語があるが、その最たるものが何でも包み込む包容力だと思う。価値観も考え方も人それぞれだから違って当たり前であり、他人をそのまま受け入れることこそ人間尊重である。もうひとつの老人力は良い意味でのいい加減さである。白黒はっきりしなくても灰色もあるぞと言う柔軟さであり、そんな事はどっちでも良いと言う大乗的価値観である。宇宙の真理は善悪、真偽、損得、愛憎、虚実などの二元論では捉えられない多次元の世界である。スケールの大きいいい加減さが最高である。
さて人として完成期にあり優れた価値観と老人力を持つ後期高齢者に、早く死ねと言わんばかりの老人医療保険制度には賛成出来ない。国民皆保険制度は維持しなければならないし、持続可能な保険料体系にするのは必要であるが先ずやるべきことは薬価や医療費の見直しであり、不正請求の根絶である。高所得の高齢者の負担を引き上げるのはやむを得ないが低所得の高齢者に出来高払いにするのは姥捨ての思想である。人生の最終段階にきて病気の不安に悩まされるのは惨めである。

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