昨日のブログで私は65歳までの定年延長に反対すると書いたが、これも暴論の類である。私が定年を1年繰り上げて退職したのは単に早く遊びたかったからだけではない。私特有の男の美学に拘ったからである。部下も持たず、特に仕事も与えられずレイムダックになって窓際で月給泥棒と化すのに堪えられなかったからである。人間何事も引退するときは一寸早目に余力を残して去る方が格好いい。大企業の殆どが今でも役職定年制を敷いている。肉体労働は別だが知的労働の仕事は量ではなく質である。殆どの仕事は独りでは出来ないから大勢の部下を使って行う。部下を取り上げられた管理職は途端にお荷物となり哀れな存在と化す。役職定年になった管理職は殆どが子会社に転籍して役員になるから問題にならなかったが、近年の不況で子会社も天下りを受容れなくなった。かくして窓際族が増えたが窓際はサラリーマン生活の最後を飾るには相応しくない。武士は食わねど高楊枝で、自分のプライドを大切にして会社を去る方が良い。
公務員の天下りを失くす為には65歳までの定年延長は必要である。然し民間企業が高齢者を再雇用する場合は給与も50−60%に減らされる。一方公務員は下がらないのが問題である。天下りすれば寧ろ給与は増えるし退職金まで新たに加算される。この不公平を是正してからでないと定年延長は益々官民格差を産む事になる。
一般論として欧米先進国のサラリーマンは定年を待ち焦がれている人が殆どである。キリスト教的価値観からは勤労はアダムとイブが犯した原罪に対して神が与えた罰の一種である。定年は罰が終わる事でありお目出度い事である。然し日本人のサラリーマンには定年と言う言葉はどこかうら寂しい響きがする。日本のサラリーマンはこの価値観を変えない限り定年後を楽しめない。欧米政府が若し企業に定年延長を義務付ける法案を出せば余計なお世話だと猛烈に反発されるだろう。専業主婦が多い日本のサラリーマン家庭では夫が定年後も働く事を妻が強く求めがちである。この風潮もそろそろお仕舞いにして夫の定年を心から祝いねぎらい、粗大ゴミ扱いせずのんびりした老後を暮らさせるべきである。
私は亭主関白だから定年の一年前に退社する事を女房に相談無く独断で決めた。女には男の美学など解るまい。以上が定年延長に反対する理由である。

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