テレビ東京の「ガイアの夜明け」でホンダジェットの特集を放映した。日経新聞が数年前から取材していたものである。私が知らなかった情報が一杯盛り込まれていた。
ホンダの子会社ホンダエアクラフトカンパニーの藤野社長はまだ54歳の若手である。東大工学部の航空工学科を卒業して本田技術研究所に入った。宗一郎の後継者と見做された入交専務も吉野社長も同じ航空工学科の出身である。彼らは皆ホンダで飛行機を造るのが夢でホンダに入った。飛行機を造るのが本田総一郎の夢だったからである。
30年前に漸く飛行機のプロジェクトチームが出来て藤野さんも配属された。爾来30年間ビジネスジェットの本場アメリカで開発に没頭した。藤野さんはそれまでタブーだった主翼にエンジンを載せるアイデアに辿り着いた。ホンダがやる以上他と違うことが求められる。主翼にエンジンを載せれば胴体部のスペースが広がる。空気抵抗も高速では胴体にエンジンを格納するより減ることが判った。この技術はアメリカで特許を取り、藤野さんは表彰された。
ホンダジェットは7人乗りであるが他社に比べて客室に余裕がある。トイレなどは広くて余裕たっぷりである。騒音も低く抑えられている。ビジネスジェットは金持ちの経営者が乗るから乗り心地が重要である。
アメリカにはビジネスジェットが20000機もある。日本の64機と比べると雲泥の差である。何故ホンダが飛行機進出にもたもたしたかは日本には市場が無かったからである。日本ではモーターボートも自家用飛行機も保管費用などでコストが高い。大幅に規制緩和をしなければビジネスジェットは売れない。
自動車の部品点数は3−5万点であるがホンダジェットは70万の部品からなる。日本の町工場が部品開発に夢を託して頑張っている。安定した品質の部品を供給することにかけては日本の町工場は世界一である。
私はビジネスジェットのライバルはカナダのボンバルディアとブラジルのブラゼルだと書いたがアメリカの老舗セスナを忘れていた。セスナはプロペラ機の小型では世界を牛耳っていた。その後ジェット時代に入ってセスナが経営危機に陥った。ホンダに買収してほしいと言ってきたが私が窓口になった。確か僅か400億円でセスナ社を買収できた。私はホンダが何時までたっても空に進出しないので苛々してセスナの買収を経営陣に提案したことがある。研究所が自社開発の拘って反対したのは当然である。自社開発こそホンダ企業理念の根本である。我ながら不徳の致すところだった。
ホンダジェットの研究開発費は企業秘密だが恐らく天文学的数字だと思う。1年に100億円としても30年間で3000億円である。回収するには10000機近く売らなければならない。それでもやるのがホンダである。ホンダのコマーシャルのキーワードはパワーオブドリーム即ち夢の力である。

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