今、テレビでは冬季オリンピックのカーリングが放映されている。
上士幌では小学校のスキー大会そのあと町のスキー大会があった。
そのための練習だったのかは記憶がないが、1度だけ練習をするからスキーで登校するように言われ、私は父が戦争で使ったスキーで登校した。
途中で馬そりのおじさんが妹を馬そりに乗せてくれて、私は妹にストックを持ってもらって滑って行った記憶がある。
学校の側に坂があるのだろうかと心配だった。
でも、あったのだ。
私は、グランドの西側の雑木林の向こう側はずっと雑木林だと思っていたが違ったのだ。
そこには坂があった。
それほど高い坂ではなかったが私たちにはちょうど良かった。
今考えてみると、学校の裏道は西の方に下っていてその下には川が流れていたのを思い出す。
先生は宇都宮出身なのでスキーはしなかった。
教わった記憶はなかった。
小学校のスキー大会は勢多の山で行われた、私の家から学校までは2キロあった。そのうえ、勢多の山まではもっとあったのによく行ったと思う。
スキーがない人は歩いて行ったのだと思う。
途中の川ではストックに雪を載せて川につけ、その雪をなめって水を飲むことを教わった。
山では、スキーを持っていない人達には、宝探しがあった。
私は父のスキーで滑った。
金具など付いてなく、足を留めるものは皮のベルトだけだったような気がする。
学年によって滑り出す位置が高さが違っていたように思う。
初めて滑ったのは3年生だったと思う。
直滑降で滑った時転んだ、そして片方のスキーだけが滑って行った。
帰って、父にスキーを買って欲しいとお願いした。
ある日、私は父に連れられてスキーを買いに行った。
佐々木馬具屋さんだったと思う。そこでスキーを買ってくれた。
でも、姉たちも使えるようにと長いスキーだった。
まっすぐ手を伸ばしてとどく程度が良いと言われていたけれど、とどかなかった。
それでも、神社の坂、上金さんのお寺の坂で練習して4年生の時は入賞した。
と言っても3位ぐらいだったかもしれない。
上士幌町の学校のスキー大会が糠平であった。
参加するように先生に言われたけれど親は許してくれなかった。
なぜだったのだろう。
私はクラスメートと糠平温泉のお部屋で、大会が終わるまでおしゃべりをしていた。
あの学校でのスキーの練習は1度きりだったと思う。
その1度きりのスキーの練習は雑木林を通って坂の前に立った時の景色とともに忘れられない思い出だ。

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