隔週の東京からの帰り、僕は新大阪駅で書店に寄る。店名は「dan(談)」。
今、僕が住んでいる都島区中野町近辺(JR環状線桜の宮駅西側)には本屋さんが無くて、ここ5年、本と言えば専らそこだ。
僕が覗くのは殆どの場合‘ノンフィクション’のコーナー。先日、そこで久しぶりに面白い本を見つけた。
世の中、当たり外れはある。家、恋人、番組、芸人、宗教、研究、仕事、○具、□機、▽○道、◇▼険・・・・・。
本も例外ではない。僕はこれまでに数千冊の本を読んだ筈だが、これはと言える本は10冊あるだろうか――僕の本選びに問題があるのかもしれないが。
例えば、挙げてみよう。
『四日市・死の海と闘う』田尻宗昭
『苦海浄土』石牟礼道子
『オナニーと日本人』本木至
『囚人狂時代』見沢知廉
『昭和史の女』澤地久枝
『死刑執行人の苦悩』大塚公子
『日本の喜劇人』中原弓彦
『疑惑は晴れようとも
―松本サリン事件の犯人とされた私』河野義行
『武器としての笑い』飯沢匡
『何はさておき』他・ナンシー関
『風船爆弾』鈴木俊平
『父よ母よ』斉藤茂男
『松代大本営』青木孝寿
『中国の日本軍』本田勝一
『アウシュビッツの時代』羽仁五郎
『野垂れ死に考』高木護
『皇后の股肱』千田夏光
『芸人その世界』他・永六輔
(雑)『芸能東西』小沢昭一(編)
『誘拐』本田靖春
『自動車王国の暗闇』鎌田慧
『くるいきちがい考』なだいなだ
『情況へ』矢崎泰久
(雑)『話の特集』
(雑)『思想の科学』
『百人斬り競争と南京事件』笠原十九司
『性犯罪被害にあうということ』小林美佳
今、本棚に行ってざっと見たら意外とあった。これで網羅ではないので雑誌を除くと40冊ほどと思える。
僕の読書歴を42、3年とすると、ほぼ1年1冊である。年間40冊読破するとして、2.5%である。やはり本にも当り外れはある!いや、外れの方が多い!
話はちょっとずれるが、そういう状況故に、残された人生の確実に少ない僕は今までになく選んで本を読むようになった。嘗ては意地でも最後まで読んだものだが、今は面白くなければ途中で止める。ま、この年になれば本に限らず、誰でも何でもそうであろうが。恋も、酒も、歌も、夜も。
そして今回、また面白い本を見つけたというわけである。
『笑撃!これが小人プロレスだ』
著者は高部雨市(たかべういち) 現代書館 2600円
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「小人プロレス」
ご存じか?(しょうにん)ではない(こびと)である。ハイ、今や差別語。
それがテレビで流されていた時代がある。しかも、僕はそれを見ている。
小学校高学年から中学校へ掛けてだったろうか。
でもそれだけがオンエアされたという事ではなかった気がする。普通の(普通って?)プロレスの前か後にオマケのように付いていた、という記憶だ。
時には試合の途中で番組が終わるような事もあったから生中継だったのか。
テレビのプロレス中継は僕が中学校のころに隆盛を迎えた。
実際は僕が9歳の時の1958年9月5日の金曜日20時、「三菱ダイヤモンドアワー」の枠内で「ディズニーランド」と隔週でプロレス中継が始まっている!
更に調べてみると、その番組は録画中継だったそうで、そう言えば、ちゃんとクライマックスを迎え、時間内に試合は終わっていた。
さて、人気を博すプロレス。日本側は今や歴史上の人物といってもよい力道山(水戸黄門の印籠より凄い伝家の宝刀・空手チョップ!何でもっと早よ出さへんねん!)を筆頭に、
豊登(カッポンカッポン脇鳴らしと怪力!)
吉村道明(技師、回転バックフォールには驚いた!)
遠藤幸吉(映画で言うなら名バイプレーヤー、いいところで力道山と交代!)
マンモス鈴木(毛むくじゃら!でもそんなに強くない)
芳の里(下駄が凶器!結構弱かった、でも頑張ってた)
僕が見たテレビでは殆どこの6人だった――中でも上の4人――その後、若きジャイアント馬場や大木金太郎、アントニオ猪木が登場するようになったが、まだまだ駆け出し丸出しだった。
対するガイジン勢は!
鉄人ルーテーズ!
銀髪鬼フレッドブラッシー!
白覆面の魔王ザ・デストロイヤー!
この3人を別格に、
ジェス・オルテガ(メキシコの巨象)
グレート東郷(日本人?)
キラー・コワルスキー(殺人狂)
ボボ・ブラジル(黒い魔人!)
グレートアントニオ(密林男!)
ミスターアトミック(覆面レスラー)
パットオコーナー(魔術師!)
ボボ・ブラジル(黒い魔人!)
ディック・ハットン(野生の男!)
ミスター・アトミック(赤仮面の怪人!)
プリンス・イヤウケヤ(ハワイの巨象!)
ヘイスタック・カルフォーン(人間空母!)
ニック・ボックウィンケル(金髪鬼!)
フレッド・アトキンス(オーストラリアの猛牛!)
レオ・ノメリーニ(タックル王!)
懐かしい名前がいっぱいだ!
現在はどうか知らないが、その頃は御覧のように全てのガイジンレスラーには異名が付いていた!
そして彼らの殆どがヒール=悪役で、その強さに慄き、ずるさに腹を立てたものだ。特にグレート東郷は大嫌いだった。
そこへ、沖識名(おきしきな)というレフリーが悪役に味方する判定、行動するものだから僕らの憤慨は留まるところを知らなかった。しかし、やがては力道山の伝家の宝刀・空手チョップが炸裂!テレビの前の大人も子供も溜飲を下げるのだった。めでたし、めでたし。
※今回、これを書く為にいつものようにインターネットを検索していたら、‘昭和プロレス研究室’というサイトを見つけた。来日外人レスラー、レフリー、異種格闘技出場選手などの名鑑がごっそりある!興味のある方は一見の価値あり。
そして、お世話になりました。
さて、日本のプロレスだ。
テレビの中のプロレスがこれからだという時、1963年12月15日、力道山が亡くなる。
やがて、馬場・猪木時代へと向かうのだが、僕のプロレス時代は力道山と共に終わっており、日本の有名プロレスラーも、ブッチャーも、タイガー・ジェット・シンも、カール・ゴッチも、スタン・ハンセンも、ハルク・ホーガンも視野の外になっていった。
そして今回のテーマに関して言えば、プロレスが金曜20時に発展してからは「小人プロレス」を見ることは無かったと記憶する。
しかも「小人プロレス」は多くの場合「女プロレス」と一緒に興行していたのだが――それは正しくプロレス興行の場合もあれば、キャバレーやクラブと云う事もあったようだ――その時代「女プロレス」のテレビ放送は、「小人プロレス」にも増して取り上げられず、僕が時々目撃したあの「小人プロレス」は一体どんな経緯で登場していたのだろう。
記憶の隅に、日曜か土曜のお昼にそれを見ていたような・・・・・
しかし、テレビの中の「小人プロレス」は断然面白かった。2対2或いは3対3のタッグが多かったと思ったが、動きの速さ、絶妙の連繋プレー、そして滑稽な動きと明らかに笑いを取ろうとするアクション!
連繋プレーの中にはレフリーも組み込まれており、必要で意外な役目を果たしていた。
そうなのだ。「小人プロレス」はその日の興行の中で、明確にそして意図的にお客さんに笑いを提供するショーだった。
相撲なら「しょっきり」
サーカスなら「ピエロ」
紅白なら「応援団」
水戸黄門なら「うっかり八兵衛」
今は「ちゃっかり八兵衛」か
SMAPなら「草なぎ君」
少年隊なら「植草くん」
TOKIOなら「城島くん」
都道府県なら「奈良」
麻雀なら「即リーチ海底ツモ」
アジアなら「北朝鮮」
世界でも「北朝鮮」
人体なら「肛門」
魁塾なら「上田、三浦、加藤・・・・」
ま、微妙なものや、違うものもあるが・・・・・(違うんかい!)
だがその笑いは徹底して不自由で不均衡な体から生まれるものだった。
身長の三分の一程の足、それに応じた短い手、そして比率的に大きな頭。中でも彼らの足は明らかに横脚していた。
しかし、それらを縦横無尽に、意のままに、逆に自由に使って取りうる限りの笑いを取る!
今やその技や連繋のいちいちは覚えていないが、とにかく面白かった。それが見られなくなって、時にノスタルジックに、
「そういや、最近、小人プロレス見ないなぁ」
などと、太平楽に思ったものだった。
つまり、それが放送に向かないものだという認識も、それ故に排除されていくことを予期する頭も持ち得てはいなかったのだ。敢えて言うなら、彼らを見て「面白い」以外の感覚は無かったのだ。
端的に言うと、「小人」と言うこと=発言することにも、その言葉自体にも抵抗は無かった。
だが、「小人」という人や状況に差別が無かったと云う事ではない。
恐らく、それこそは子供だけの無垢で、同時に見ていた大人はどこか笑い難いものを感じてかもしれない。
それは時代のせいでもあり、僕個人のせいでもあるだろう。
真実は、僕はいっそ「女子プロレス」の方にイケナイ何かを感じていたのだ。
それは、女性がそんな事をするなんて!という子どもなりの素直だが今や偏見とも言える、時代的な先入観からの蔑視であった。
テレビや他のメディアに登場しない、それ故に子供にはタブーな臭いがする彼女達にエロなものを嗅ぎ取っていたことも事実だ。
彼女等が登場したのは主に雑誌。それも実話系と言われるもので、その出自や生態を写真入りで興味本位に取り上げた際物でしかなかった。子供心に卑猥な存在に思えたのは時代の不幸と言うしかないのだろうか。
ところが、1973年!その状況を打破する人材が登場した!
マッハ文朱(1959年生まれ)である!
ご存じのように彼女は「スター誕生」の決戦でプロダクションからの要望がゼロと言う結果で山口百恵に敗れ、「女子プロレス」にやってきたという変わり種ではあったが、強さと可愛さと歌も上手いという言うことなしの素質で、あっと言う間に女子プロレスのスターとなったのである。
この人気と勢いはビューティペア(ジャッキー佐藤・マキ上田)、クラッシュギャルズ(長与千種・ライオネス飛鳥)と受け継がれ、女子プロレスは80年代後半まで人気スポーツとして華やかな時代を構築して行ったのである。
勿論その裏には、ブラックペア(池下ユミ・阿蘇しのぶ)や、ダンプ松本、ブル中野、アジャコングと言った悪役を担った女子プロレスラーがいたことを忘れてはならない。
しかし、しかしだ、その女子プロレスの人気上昇にともなって、「小人プロレス」が低迷して行くのだ。
既に書いたように、元来「女子プロレス」と「小人プロレス」は共存共栄、常に一緒に興行していたのだ。敢えて言うならふたり掛かりで普通の男子プロレスに対抗していたのだ。
それが、一方の人気が出てきた。テレビを先頭にマスコミがこぞって「女子」を取り上げる。その時、必ず横に「小人」がある!
時代は1970年代、メディアには「差別語狩り」が横行していた。それは実体を遠ざけるだけでなく、ただ言葉が在るだけで差別だ、差別者だと決めつける、狂気の沙汰だったのだ。
「きちがい」「めくら」「つんぼ」「乞食」「隠亡」「よつ」「部落」「犬殺し」「朝鮮」などなど、悲しみの文化を秘めた言葉はそれだけで使用禁止にされていった。
更に「差別語狩り」の嵐は留まるところを知らず凶暴で無謀なモノに変身して行った!
挙句、「用務員」「あんま」「くずや」「三助」「毛唐」「裏日本」「女中」「床屋」「土方」「百姓」「合いの子」「後進国」「黒ンボ」「坊主」「ライ病」「片手落ち」続々と、続々と!
何でも人に「劣情を催させるもの」はダメということになって行ったのである。劣情の正体も、劣情を持ってしまうシステムも、何ら追求しないまま。
そしてそこに「小人」があった。
マスメディアは一切近づかなかった。「女子」と「小人」の分断が始まった。そして一方は更なる日の当たるところへ。一方は人々の目の届かぬ所へ押しやれていった。
だが、この経緯はこんな数行で済まされるものではない。僕の多少の知識で大まかに紡いだものでしかない。
『笑劇!これが小人プロレスだ』にはその時代を体験してきた人々の言葉が書いてある。
無論、その視点だけではない。人間としての「小人プロレスラー」へのアプローチもある。しかし、そこの変転を書かずには、結局「小人プロレス」の現在も過去も語れないと思う。
その差別の一環を攻める視点がその本にはある。
言わば、「小人プロレス」から見た差別だ。
ひょっとすると著者はこう書かれる事は望んでないかもしれないが。
僕はそう受け取って、この本を是非にと薦める。
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さて、戻ってその本だ。
開巻、数葉の写真が目に飛び込んでくる。
1980年代、リングで暴れまわる小人プロレスラー達だ。
「そうそう、これだこれだ」という思いだ。
しかし、写真の彼らは風前の灯だったのだ。
僕が見たのはその20年も前の大暴れだったのだ。
次は目次。これは全部紹介しよう。
―――――――――――――――――――――――
はじめに
序
T 武者震いのスイッチが突然切れた
U 殺さないでくれてありがとう
V あいつ
W 黄色い猿
X ミスター・ポーンの笑(ショー)人生
Y 白木みのるという小さな巨人
Z みせかけのヒューマニズム
[ 小人という言葉
\ ミスター アンド ミセス・ラスク
] テン・カウントゴングは鳴らない
XI テレビライトの明りが落ちた
XU それでも、自分を見限らない
XV 戦士の葬列
XW 偽善の箱(テレビ)
XX 憂愁
XY 目にモノを見せてやる
XZ そして、天使はダイブした
X[ 正統なる怪優
X\ 終焉
あとがき
主要参考文献
初出一覧
解説・・・・・森達也
―――――――――――――――――――――
奥付などによると著者の高部雨市氏は、
1950年、東京生まれ。ルポライター。故竹中労に師事。
社会の表層から、置き去りにされた人々のルポルタージュを描く。
著書に、
『異端の笑国―小人プロレスの世界』
『私風俗―上野界隈徘徊日誌』
『風俗夢譚―街の底を歩く』
自然と融合しながら、生き生きとした表現としての“走る行為”を追求した『走る生活』など。
現在は「日本人とマラソン」をテーマに取材中。
1950年生まれか、僕はその1年前だからテレビ体験は彼の家が相当金持ちでなければ可なり似たもののはず。だから「小人プロレス」を追うのも頷ける話ではある。
そして、竹中労に師事か。こんな本を出すのも分かる話だ。
さて、本の中身に移るが、かと言って、著者が(恐らく)遠慮しつつも、取材したい人々に執拗に連絡を取り、時には断られ、しかし再度のお願いをし、遂に許諾を得、日にちと時間を調整し、遠くとも近くとも必ず足を運び、そして、殆どの人が初対面からであり、押し黙る時間の多い人や、反対によく喋ってくれる人、しかし、聞きたい事を聞き出すには押したり引いたりという寛容と忍耐の連続の中、何とか押しつけではなく、且つ自分でも納得できるその人の生き方や歴史や考えを取材し終わるまでのその努力と苦労!
それを差し置いて、さっさと本誌の文章を頂くことなど出来る訳もない!
しかし、僕はこの本を少しでも多くの方に読んで頂きたい。
つまり、今回のたくらだ堂は宣伝紙(氏)であります。
失礼を顧みず、ドカドカと中身に入って行きます!
先ずは特典!=この本には、「小人プロレス」の試合のDVDが付いてます!
【45分3本勝負】
出場選手は、
リトル・フランキー 天草海坊主
ハイチ・キッド VS ミスター・ポーン
プリティ・アトム スモール・ブッチャー
アナウンサーは声から判断して若き日の志生野温夫。ゲストに松岡きっこ、ジャッキー佐藤らがいるようだ――彼らは映らない。
その志生野アナが試合開始から盛んに「小人プロレス、小人プロレス」と言っているのが凄くて面白い!
次に、この本に喋り手(インタビューされた人)として登場する多くの人を紹介しましょう。
■ミスター・ポーン(小人レスラー)
■白木みのる(喜劇俳優)
■前田祥子(小人症の子供を持つ親の会会長)
■山田太一(作家)
■小林延行(フジテレビディレクター)
■野本光一(JLP会員)
※JLP=ジャパンリトルピープル
■ラスク夫妻(宣教師・JLP発起者)
■天草海坊主(小人レスラー)
■隼大五郎(小人レスラー/スモール・ブッチャーと同人)
■リトル・フランキー(小人レスラー)
■角掛仁(小人レスラー)
■プリティ・アトム(小人レスラー)
■赤城マリ子(女子レスラー)
■ナンシー久美(女子レスラー)
■唐柔太(小人レスラー)
■Tさん(フジテレビ報道記者)
■浅草キッド(漫才師)
■リトル・タイガー(小人レスラー)
■長与千種(女子レスラー)
■Rの母(Rは小人症―ターナー症―で、恐らくはいじめとそれを苦に自殺した中学1年の女子生徒)
■峯澤奈美(44歳・主婦・小人症)
■マメ山田(芸人・小人症)
■日野利彦(芸人・小人症)
■いか八朗(芸人・小人症)
■角掛留造(芸人・小人症)
■赤星満(芸人・小人症)
■蜷川幸雄(演出家)
これで全員ではないが、こんなにいる!
この人たちと連絡を取り、約束を取り付けて、そして会う。そして話を聞くのはそこからだ。しかも、一回で終わらない時もある!大変な事が判る。
今回、この稿の為に改めてこの本を読み、ここと云う箇所に紙を挟んで行った。そして直ぐに判った。ここという箇所はページ毎にある!多過ぎるのだ!
だが不孫を承知で、ここと云う箇所を挙げさせて貰う。
何度も書くが、著者が足と目と耳と手で書いた珠玉を、こうもさらっと書き写すのは心が痛むが、少しでも多くの人にこんな本があることと、そして「小人プロレス」という異端の人達がいたことを知って欲しくて――少々長いが――そうさせて頂く。
◆「] テン・カウントゴングは鳴らない」より(198頁)
――彼らからリングを奪ったのは誰だ!
「マスコミが取り上げてくれないのはですネ、それは度胸があるかないかの問題なんです。TBSはドラマや『8時だヨ!全員集合』で、僕らを使ってくれましたヨネ。僕らが出ると批判の投書が来るでしょ、それが怖いんでしょ。それをものともしないで出してくれたってことは素晴らしいなぁーって思います。いかりや長介さんが凄かったのかもしれないけど・・・・。
僕もフジテレビの深夜番組に出たことがあるんですヨネ。萩原健一さんの『ザ・スター』って言う番組で、ショーケンさんのバックでダンス踊るんですネ。それが終わってからも、よかったかどうか知らないけど、ショーケンさんの全国コンサートに呼んでくれたんですヨネ。
――でも、例えばアトムさんのような均整のとれた小人ならイイけど、僕らのような、たとえば言葉は悪いけど奇形っていうのかな、それじゃ投書がくるんだヨネ。僕ら自身は利用されてるわけじゃないし、テレビに出たいと思っている。僕ら承知の上でやっているんですヨネ。なのに横からいろいろ言う人がいる。
――投書してくる人間の言い分っていうのは、僕らみたいに劣る人間っていうか、そういうのをテレビに出すっていうのが、社会のモラルに反するみたいに考えているんでしょ。
――たとえばネ、僕らの笑いを屈折した見方する人間はいるんです。『おまえらの笑いは奇形を笑われているんだ』っていうネ。だけど、リングに立って何もしないでお客さん笑いますか。誰も笑いませんヨ。それをこちらが笑わせるようにするんでしょ。それが芸ですヨ。籠に入って籠の中のもを見せてるわけじゃないんだから、動物園じゃないんだから」
◆「]T テレビライト明りが落ちた」より(200頁)
――そうだった。三年前、僕がはじめて小人プロレスに出会った時と同じ明るさに、今、照明は落ちたのだ。
小人プロレスがはじまるのだ。彼らが登場してくるのだ。彼らのリングには、テレビライトの放つ明るさは必要なかったのだ。彼らのリングは、けっして、放映されることはないのだから・・・・・
――リトル・フランキーの112センチ、42キロの身体がリングロープを潜り抜けると、今まで彼を追っていた黒いシルエットのさざ波たちが、小さな驚きとなって館内に広がってゆくのがわかる。しかし、その驚きは、三年前とは比べようもないほど寂しいものだった。
その時、僕の背後で、高校生と思われる少年が低く押し殺すように呟いた。
「身体障害者だもんな・・・・・」
少年の、誰かに同意を求めるような言葉に、周囲にいた観客たちは素早く反応して、かすかな忍び笑いが広がった。暗い闇の中でその忍び笑いは深く静かにくぐもって、観客たちの足もとにおりていった。
観客の何人かがパラパラと拍手をおくった。その疎らな拍手が合図だったかのように、ゴングが鳴った。
――プリティ・アトムの甲高い叫び声が聞こえる。リトル・フランキーと角掛仁がリングを走り回る。クルクルと独楽鼠のように走り回る。走り回り、そして相手の一瞬のスキをついて攻撃を仕掛ける。そのスピードの速さに、今まで少なからずの違和感を持ちつづけていた観客たちの中から、自然発生的に漏れてくるのか、「オーゥ」という声にならない叫び声が聞こえてくる。そして観客たちの、意識して固く閉ざされていた心が、彼らが動けば動くほど自然に柔らかく開かれてゆくのがわかる。彼らの動きは、観客たちの頑なな心をも、あたり前に見たままを表現してしまう、無垢な心に立ち返らさせてしまう――
◆「]W 偽善の箱」より(236頁)
一九九〇年、暮、拙著『異端の笑国――小人プロレスの世界』が出版されて以来、彼らに少しの変化があった。
九一年、二月、文化放送「吉田照美のやる気まんまん」に、リトル、角掛、アトムが出演する。内容的には『異端の笑国』に沿って話は進められ、彼らの生い立ちと日常と心情が語られ、そしてなぜ、小人プロレスがメディアに出られないのかという問いを投げかけた。
ただ僕は、放送を聞きながら、ミゼットプロレスと問いかけ続ける吉田照美と、小人プロレスと答えるプリティ・アトムの差別用語バトルに苦笑しなければならなかった。それは洒落にならない掛け合い漫才を聞いているようでもあったのだ。
ミゼット(コビト)と小人(こびと)、小人という言葉、僕の脳裏にある情景が過った。それは、渋谷の見番で行われていた若手の漫才、コントの会(その後、この中の何人かはテレビのゴールデンタイムを仕切るようになった)に、出席した後の打ち上げでの情景だった、それぞれが反省あるいは感想などを話、僕も“小人”プロレスの笑いというような発言をした時だった。
それは間髪を容れず、まさになけなしのツッコミであった!? 誰かが快活に能天気に叫んだのだ。
「小人って言うのはァ、差別用語でェ使用禁止ですよォー!(笑)」
瞬間僕は、この国のお笑いが疲弊してゆくお寒い姿を透視する。後は、公序良俗の中での、マニュアル化した安全なお笑いだけが蔓延してゆくのだろうと・・・・・。
そして今、それは正に的中した――
結果、相当限定的な場面を選択したことになった。
これは、僕という偏見、お笑い作家という視点が選ばせたもので、この本の命でも、著者の核心でもないはずだ。
いや、僕にしたって、この本の最大のお薦め箇所はこの三か所と決定した訳ではない。先にも書いたが、ここという箇所は多い!敢えて選んだこれらだ。
是非、一読後、あなたなら何処を選ぶかやってみて下さい。
しかし、今、僕の耳には聞こえて来ている。
「そんな重い本、読みたくない」
という呟きが・・・・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最後に、七月二十六日、京橋花月。第一回「コント衛門〜痛み知らず」にお越し頂いたお客様、有難うございました!
そして、二回目もやって良いと言われました!
有難うございます!
二回目「ろ」は勿論年内です!
詳細が決まり次第、ここに載せます!
その節は、よろしく!
「ろ」か・・・・・?
「老人介護」
「ロザン」
「ロックンロール」
「労働意欲」
「ロリータ」
「狼藉」
「ロース」
「ローション」
「六波羅探題」
「露出狂」
「路傍の石」
「論理的」
・・・・・「露出狂」はすぐ出来そうだなぁ・・・・
乞う御期待!

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