先月、2月23日、火曜日。本来だと、魁塾の授業の日だったのだが、急遽予定を変更して、塾生と我がマンションで『R−1決勝』を観戦することにした。朝の9時ぐらいから携帯、パソコンで連絡をし、放送30分ほど前の午後6時半には10数人が集まった。
「M−1」決勝のテレビ観戦は塾恒例なのだが、「R−1」は初めてだった。その顔触れ。
一期 伊藤門外 ※
〃 加籐良広
二期 原井亮宣
三期 田中亮治 ※
四期 岡田幸史 ※
〃 北方克幸 ※
五期 上野大輔
七期 中島裕幸
八期 池田貴彦 ※
〃 伊藤仁 ※
九期 武村圭佑
十期 森井真名美 ※
〃 島田真央 ※
〃 奥田瑛気 ※
〃 小西正樹 ※
十一期 小城尚也 ※
と、事務局の中村壮快くんと僕、計18名。
観戦とはいえ、授業の一環なのでそれぞれが採点し、感想、意見を述べ合い、塾生の観点、感性による優勝者を決める、ということも、僭越ながら行った。
それを実際に放送される番組の進行に従って行うので、本家のやり方は、
「エントリーの9組の芸人が一組ずつ順番にネタを披露し、7人の審査員が100点満点で採点、各ネタが終わるたびにその合計点を発表し、最終的に上位3組がファイナルステージへ。ファイナルステージは3組のネタが終わった後、7人の審査員がこれはという芸人に1票を投じ、グランプリが決まる」
これに対し我々は、
「9組のネタごとに、各人が0.5刻みの10点満点で評価。9組が終わったところで、一旦テレビを切り、各人の採点を合計。我々の評価の順位が決まる。番組終了後、録画しておいた番組の決勝での上位3組のネタを見、それぞれがこれはと思った芸人を挙手で選ぶ」
観賞会に参加したのは18名だったが、遅れたために全員のネタを見られなかった人は審査には加わりませんでした。「※」印が審査をした者。僕も加わりました。計12人。
そして、本物の方の審査員は、敬称略で、
桂三枝
高田純次
太平サブロー
清水ミチコ
ラサール石井
板尾創路
伊東四郎
優勝者には500万円と副賞色々が贈られる。
2002年から始まったR−1、今回のエントリー数は史上最多の3539名!
そして、司会者は雨上がり決死隊と優香。そんなことはご存じか。
ではでは、塾生の採点も載せながら、出演順に僕のネタ評である。
「ネタ評」?評価か?ではない。僕はこれを審査員として書くのではない、はしなくもお笑い作家として、その出来や、作り方に対し、誰かに否定されることや、芸人に限らず反発を買う事もあるだろうと想定して、好悪も含めて、僕の志向性、もしくは思想性から全主観で書くのだ。ま、感想とも言えるし、大いに勝手でもある。
ところで今回はネタ自体の説明や紹介を少なくした。その為に、あの番組を見ていない方には更に勝手な、判りにくい事になるやもしれませんが、予めご容赦。
では、出演順に!
@【COWCOW山田與志】
〜DJボブのグルービーグルービー。山田は黒人DJに扮し、用意した(ラジカセ型のイラスト)を使っての言わばフリップ芸だ。
〜「フリップ芸」。それはそれがどんなバージョンで、どんなに見たことがなくても、既に作られている=準備されたネタであることが歴然だ。つまり用意されたネタ感が強いわけで、ライブ感も弱まり、どうしても笑いの量は減殺される。
〜だから当然、全体量も知れる。あ、後半分ぐらいだとなってしまう。限度が分かるネタである。例えば、マジックもピン芸だが、次に何が出て来るかは十分に楽しみだ。フリップ芸はその幅が小さいと言わざるを得ない。
〜無論、山田のそれは3枚(箇所)を交互に見せながらの手の込んだものだが、実はそれは、審査員のひとりが指摘したように、めくる段取り、細工が見えていて、芸の融通無碍さが疎外されているのだ。
〜そして、フリップ芸はやはりフリップ自体が小さい。つまりはイラストにしても、文字にしても見せようとしているものが小さいのだ。自ずと場所(会場)が選ばれる。何処でやっても笑いの取れる強いネタとはならないのだ。
〜但し、テレビでオンエアされる場合はカメラがしっかりと寄りで撮ってくれるのでその心配や損は減るが、今回でもそうだったが、決め台詞を言う時の芸人の顔が見えないので芸(ネタ)とその芸人の親和感が薄れる。敢えて言うなら、COWCOW山田のネタですという点が強調されないこととなる。
〜そして、更に惜しむらくは、ギャグの行き先、落ち着き先が「地井武男」であり「阿藤快」であることだ。それは絶対たまたま使い糧があったというに過ぎないはずだ。彼らを使うことに意図や背景があるとは思えない。
〜勿論、フリップをめくるだけではない色んなギャグが満載ではあったが、結局道具の多さがネタ自体の自由さと、芸人の奔放さを損なっていたのではないだろうか。
●番組審査 =627点
●魁塾審査 = 74点
A【バカリズム】
〜黒ずくめに赤いマフラーの男「正義感の強い男」が登場!
〜あれ、フリップじゃないし、面白そう!と期待した僕だった。何故なら「正義感が強い」ということは、どんな悪をも許さない男な訳で、勿論、誰もが憎む巨悪には当然立ち向かうが、友人のうっかりミスや、恋人の冗談や、赤ちゃんの我がままにさえ怒りを感じ、罰を与える男のはずだ。面白そう、と僕は思った。
〜しかし、彼の「正義感の強い男」は憎っき悪党どもと対峙し、どうやら女性も捕われているようだが、それ以上具体的な犯行も、攻撃も登場しないし、彼の正義感は些かも発揮されない。彼流のフラットでドライな笑いを狙ったやりかたなのだろうが、それが上手くいった=観客に伝わったとは思えなかった。
〜そして、僕の勝手な期待と違った彼のネタは「○○感」遊びだった。
「罪悪感」「嫌悪感」「透明感」「安心感」「信頼感」「残尿感」「不信感」
と、いろいろ出て来るが、遊びが判るとそれは尻すぼみになっていった。
〜続いて、フリップが出て来る。全編フリップよりは必要に応じて出て来るフリップは有効であるはずだ。しかし、「圧迫感」「清涼感」「リズム感」や、年別の「正義感の推移」グラフなどの折角のアイデアも不発気味であった。
〜最後は時間が来て彼の「正義感」が下がって行く。50、30、20、10。ということは彼はどんどん悪人に、いや悪魔にさえなっていっているのだ!だが、男は「あ、お疲れした!」と普通の男になって、小道具を下げてはける。
〜期待が膨らむネタだったが、本人はインタビューで「達成感に満ち溢れた」と言った。結局、彼と僕の感性の違いでしかないのか。
〜それを承知で、更に書く。これは「正義感の強い男」の大喜利だ。色んな場所、条件で正義感の強い彼がどうするか、何をさせるかだ。
例えば、
⇒地球の緑がどんどん無くなっている!彼はどうする?
⇒政治家が天下りをした!彼は?
⇒ヤクザが覚醒剤で儲けている!彼は?
⇒警官が痴漢をした!彼は?
⇒苛めっこが苛められている!彼は?
もっと具体的に行ってみよう!
⇒鳩山首相が母親から訳の判らないお金を貰った!
⇒北朝鮮がまたテポドンの用意を始めた!
⇒自民党が徴兵制を考えている!
⇒チリ地震で津波が発生!
⇒浜田ブリトニーが整形した!
何でも行ってみよう!
⇒今、この時にも冤罪は生まれている!
⇒船頭が多くて船が山に登ってしまった!
⇒君が嫌いな君が好き、になっちゃった!
⇒自由を履き違えた!
⇒条件反射で生きている!
〜ま、僕がこう言う例を上げることは直接には「バカリズム」のネタの評価ではない。期待と違ったということでしかないが、譬え僕の例とは違うにせよ、僕の期待以下であったことは間違いない。
〜そしてもっと勝手なことを言わせていただくなら、早くあの「トツギーノ」を超えて欲しい。
●番組審査 =630点
●魁塾審査 = 84点
B【いとうあさこ】
〜彼女は39歳。アラフォー女性の精神的、心理的、外見的、内臓的、肉体的現状を吐露する。それは悲しみでもあるが、やや自棄でもあり、諦めでもある。言わば、共感の笑い。
〜しかし、それが羅列であることが惜しい。OLのひとりコントにしてなどとは言わないが、流れがあった方が意図は出せるし、笑いも増えると思うのだが。
〜多分、羅列で終わらせたくないと、出たのがあの新体操のレオタードとリボンなのであろう。ミスマッチというか、関連の無さも狙いの内であるのだろうが、見てくれの妙さだけで、あの乖離が成功しているとは思えなかった。
〜途中、リボンが絡んだり、無理な動きに「痛っ!」と声が出たりして笑いを誘っていたが、もし僕がネタを書いたなら、無理矢理でもいいから、出来ない段違い平行棒をやってもらう――勿論、アラフォーネタはやりつつ――か、これも出来ないだろうけどポールダンスをやって貰う。ともかくもっと激しくて、アラフォーの女性には実際きついものを用意するだろう。ポールダンスは彼女自身が何処かでやったかもしれないとも思いつつ・・・・
●番組審査 =641点
●魁塾審査 = 62点
C【グラップラーたかし】
〜『ものまね紙芝居』というタイトル通りの芸だ。
〜「あごずきん」「黒雪姫」「タッチ」という3つの物語が出て来るが、ものまねで登場するのが、
ボビー・オロゴン(3話とも)
アントニオ・猪木(3話とも)
高田延彦(黒雪姫のみ)
藤岡弘(黒雪姫のみ)
で、審査員の講評にもあったが、同じ人ばかりで、後半になればなるほど期待と笑いは減る一方だった。
〜だが、それ以前に、3つの話を持って来て出来るものまねをやっただけというネタでしかなく、決勝へ来るまでにきっともっと面白いネタがあったんだろうなと思うしかなかった。とても残念なり。
●番組審査 =639点
●魁塾審査 = 72点
D【川島明(麒麟)】
〜ポール・デズモンドの「テイク ファイブ」をバックに「何でもいい声で言ってみよう」という川島のいい声をフューチャーしたネタである。
〜マイクから1間ほど離れたところにある椅子で説明(ネタフリ?)をし、センターのマイクのところまで行って、その台詞、言葉、文章、言わばオチを言う。例えば、
「ドラえもん」第1巻より、ノビ太に向かってジャイアンが言った恐ろし過ぎる台詞 ⇒ 「バットを買ったんだ、殴らせろや」という具合である。
〜果たして、フリの「普通の声」とキメの「いい声」の差が、もともと川島はいい声なので、さほど顕著で無く、やや効果薄だった嫌いが。
〜そして、それらのネタは、「ドラえもん」「北斗の拳」「(実際の)大道芸人」「家電の取り扱い説明書」「CoCo壱の店員」などからの川島のセンスでの抜粋。
〜大きく2種類ある。漫画やトリセツといった在り物からの引用と、実在の人物、職業から――これは実際に彼が体験したものだろうか――の二つ。だが、時間が少なく、結局7個しか出来なかったんだから、どちらかに絞った方が、構成力が示せ、世界観が出せたはずだ。
・・・・にしても、インパクトに欠けるネタであった。
●番組審査 =645点
●魁塾審査 = 72点
E【我人祥太】
〜100均の傘を差して登場。そして退場。「憂い」を訴える、もしくは奏でる芸。陰気、陰鬱、或いは殺伐。僕は不勉強ながら初見でした。
〜フリップも使うが、重点的ではない。逆にいえば、普通のフリップ芸とも言える。が、そこを指摘するのはこの際妥当ではない。
〜いきなり、暗いネタだ。
「バイキング」=家族でバイキングに行った少年がもっとケーキを食べると言ったことを父親にたしなめられて、ケーキは入るところが違うんだよと返すが!⇒彼は知らない(フリップ)「自分が他の姉妹とは別腹から生まれた事を」
会場の何割かが引いていた。
〜それに続いて「学芸会」「流れ星」「上司」「お弁当」「3D」「似顔絵」「誰かに似てる」〜終
〜そのネタの並びが、最初の方がきつくて、後へ行くほど軽いネタになっている。作戦意外の何物でもないが、僕は、これ(バイキング)が最初なら、次は、最後はどうなるんだろうと期待をした!そんなことをテレビでやろうとする彼に、バカリズム以上の期待をした!しかし、前述の如く、段々と軟弱に、普通になっていった。とは言え「似顔絵」などは十分に面白かった。そらそうだろうとも思ったが、それ故にネタ順を普通とは逆にしたのかとも思った。確かに陰気でもあり、殺伐ともしているが、結構なブラックジョークだ。僕は大歓迎!
〜次は「バイキング」を頭にして、後になるほど過激にやって欲しいものだ!
〜それか、彼も単発、羅列だ。B番・いとうあさこも、C番・川島明もそうだったが、これを望むなら彼・我人祥太が最適だと思うので言わせて頂くが、是非、ストーリーの中にこの真っ黒な笑いを入れて欲しい!つまり、上手さ、よく出来た感が増せば、決勝へは行けた!と僕などは思う。
結果は、
●番組審査=628点 ※板尾くんが96点で最高でした!
●魁塾審査= 81点 ※僕の中でも最高点でした!
F【なだぎ武】
〜「『警察24時』で放送された、ミッキー(マウス)オタクの青年が交通検問に引っかかった時の模様」と言うひとり(?)コント。
〜不満がいっぱいだ!
▼声のみだが、警官は登場し、ナレーションも付き、カメラさんまで入って来る。ひとりコントとは言い難い。R−1か?
▼無論『警察24時』だからなのだが、ボイスチェンジャーで声を変えてる。やはり、彼自身の声の方が笑いが取れただろうし、彼のニュアンス、抑揚で偽ギャグを聞きたかったという恨みが残る。しかも、全編だったから、何か良い方法はなかったものか・・・・
▼目隠しも同罪。笑いで、いや表現で、いや恋でもだが、目は重要です。「目は口ほどに・・・」は伊達ではないです。惜しい。
▼バイクが生かされてない。自転車並みに何かやってくれるかと思ったのだが・・・・
▼これは僕の意見ではなく、ある塾生の意見。つまり、僕は気が付かなかったのだが、途中、不適当発言や隠すべき言葉に所謂「ピー音」が入るが、あれは編集時に入るもので、検問の現場では聞える筈の無いもの。それが聞えていることにしてやっているのは明らかな破綻。確かに。
〜出て来るギャグはどれも面白い!流石だ!だから、とても残念だった。ま、決勝へ行けたんだから、この段階では成功なんだろうけど・・・・・
●番組審査=661点
●魁塾審査= 86点
G【エハラマサヒロ】
〜コント「めっちゃ鬱陶しい進学塾の先生」
〜「進学塾」そこが問題だ。そこを問題にしよう!つまり、「進学塾」をどう考えるかだ。
――日本の学校教育、義務教育が破綻している21世紀の今日、「進学塾」は、携帯電話や109やウォシュレット並みに日本に無くてはならないもののひとつで、世界に誇る教育機関のひとつである――
とでも言うのか、或いは、
――「進学塾」あんなものは百害あって一利なし。元来、大人が子ども達に与える(保証する)べきなのは自由であるべきで、学校が少しでも自由な空間であるように守ってやるのが大人の勤めなのだ。無論、教育で金儲けをしようという心根が既に卑しい――
〜ま、この二つに限るわけではないが、要するに「進学塾」に賛成なのか、反対なのかと言うことである。無論、反対でなければならないということではない。21世紀の今「進学塾」をネタに取り上げて、その観点が無い、感じられないと言うのは、モノを作る人として考えものである。
※「進学塾」に関しては前にもこんなようなことを口煩く書いたことがあるが、また書きました。
〜構成的には、「授業」だけで終わらず「ダンス」を持って来ており、楽しめましたが、「マイケル・ジャクソンに成りきって今日のおさらいをしたいと思います」の後の「何でって質問は受け付けへんぞ」は不要。ダンスを無理やりくっつけた事が語るに落ちている。言わなくてもいいような台詞で繋ぐべきだ。
●番組審査=655点
●魁塾審査= 95点
H【あべこうじ】
〜御存じ、正統派しゃべくり漫談。「言い方ひとつでドラマ(日常)が変わる」
〜「ディズニーランドへ行く」「ご愁傷様です」「駆け込み乗車おやめ下さい」の3つの言葉を例に「言い方ひとつでドラマが変わる」を実演。そして最後にはどれもが「愛人の言い方」になって修羅場となる!
〜しゃべりも達者。構成も良く出来て、受けてもいた。だが、僕は批判性、もしくは批評性が無いと思うのだ。その為には先ずネタの選択だろう。無論、日常の、個人的な出来事の中にも社会性は潜んでいるが、それは往々にして今流行りの(あるある)や、更に個的な事に埋没するなら、例えば「許せない話」になってしまう。僕も「許せない」は面白いし、録画がさえして何度も見るが、個人の感性の閉閾を出ていない――無論、番組はそれが狙いで、しかも成功しているのだから番組に文句はないが――僕は、皆で輪になって「ぼくだけかもしれませんが」「それはお前だけや」的なトークで盛り上がるのならともかく、ひとりの芸人が客に向かって己の視点と感性で日常を捉え笑いを取る漫談をやるというなら、古いと言われようと、そう言われることを承知で、石田一松(1920〜1956)、西条凡児(1914〜1993)、牧伸二(1934〜)、綾小路きみまろ(1950〜)といった先人、先達、先輩にみられる社会批判性は要ると考えるものだ。
●番組審査=658点
●魁塾審査= 78・5点
これで予選(?)が終了。番組内での結果は、
@なだぎ武 661点 (94・4)
Aあべこうじ 658点 (94・0)
Bエハラマサヒロ 655点 (93・6)
C川島明 645点 (92・1)
Dいとうあさこ 641点 (91・6)
EGたかし 639点 (91・3)
Fバカリズム 630点 (90・0)
G我人祥太 628点 (89・8)
H山田與志 627点 (89・6)
※( )内は審査員の平均点換算
因みに、塾の審査は、
@エハラマサヒロ 95点 (79・2)
Aなだぎ武 86点 (72・7)
Bバカリズム 84点 (70・0)
C我人祥太 81点 (67・5)
Dあべこうじ 78・5点(65・4)
E山田與志 74点 (61・7)
FGたかし 72点 (60・0)
川島明 72点 (60・0)
Hいとうあさこ 62点 (51・7)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
となった。( )内は、塾の点数の100点満点の場合のひとり平均換算
である。プロの大御所の目より、塾の半素人の方が辛いという結果となった。そして、ファイナルステージへ進む3人も違った答えが出た。それについては双方の必然でなんら不思議も、文句もない。
では、御覧になった皆さんは如何だったでしょう?
続いて、ファイナルステージの3人のネタ評である。ネタ評?いや、結局僕の希望か。
@■エハラマサヒロ■
〜コント「成長が早過ぎて鬱陶しい赤ちゃん」。
〜水色のパジャマにヨダレかけにキャップ(アレの名は特にあるのだろうか)姿で椅子に座ってのしゃべくりコント。
〜生後4カ月なのに既に大人喋りができ、自分の環境に文句がある。だが、まだ首が座っていない。
〜そして、夢は「自分の足で立つ!」。「寝返りも打ちたい!」。と言ってる矢先、「身長は生まれた時40センチで、今は175センチ」といった瞬間に立ててしまう!その驚きのまま、再びダンスだ!しかし、グラウンド(床)に移ってワームした挙句、動けなくなって「あ、すいません。まだ寝返りは打てないみたいです」で終わる。
〜問題は「成長が早過ぎる」そのディーテールと「鬱陶しさ」の衝撃の度合い=ネタの強さ、であろう。
〜結局、「生後4カ月で、首が座ってなくて、立てもしないが喋りは出来るし、モノを見る力も青年男子程度にはあり、既に体は大人の大きさ」なのだが、それは単純に外見と中身のギャップではなく、「容貌(外見)と精神(中身)」と「機能(中身)」のギャップという複雑な図式の笑いなのだ。
〜だから、そこに誰にも判る強烈な視点を持ち込むことは結構難しいのだが、その洗い出しが徹底していたか、どこまでそこを追及したネタか、という疑問を感じさせるネタだった。
〜そして、「鬱陶しさ」だが、それは「塾の先生」も然り。さほど鬱陶しくはない。ま、それはタイトルとしての味付け、言葉遊びで、そこまで本気で鬱陶しい人物にしようとは思っていない節も見えるのだが。
〜終を「ダンス」にするのは意外性であり、彼の見せ場にもなっていて有効で面白いと思うのだが、「塾の先生」が多少無理がありながらでも、そこまでの動きがダンスに集約されていたという構造性があったのに比べると、「赤ちゃん」は弱かったと言えるのでは。
A■あべこうじ■
〜「ドレミの歌」の歌詞はおかしい。だから食べ物で統一して作ります。と、(ドーナッツ)(レモン)(ミカン)(ファジーネーブル)(ハンバーグときのこソースのソ)(ラはその時の気分で)(シラスボシ)と歌い上げて、最後は客席に、最初に振っておいた「そんな知らんわ!」を言わなきゃ、とひとこと言って、観客の感心を得て綺麗に退場。
〜構成もよく、その狙いは成功していたし、喋りも文句ない。
〜だが、何故このネタをやるのかが見えない。彼の精神が感じられない。このネタは彼の存在を証明していない。漫談だから、R−1だから、笑いを取るのだからやったのだろう。技術賞は上げます。
B■なだぎ武■
〜「ドラえもんモドキ目覚まし時計」コント。
〜娘のためにそれを買ったがこれは変だ、違うと店員に起こる父親だ。
〜しかし、その観点は(自分で作った変なモノに自分でダメ出しをする)という、言わばマッチポンプ。その元からある不自然さを最後までぬぐい切れなかったネタであった。
〜(変なモノに突っ込む)。それは当たり前で、見れば判ることでもあり、そこを指摘されても、「はいはい」と頷くか、ともすれば苦笑するしかない事さえある。そこで、あの「目覚まし時計」の出来は良く、見た目は面白いのだから、「娘がとても気に行ったからもうひとつない?」と店にやってきたらどうだろう。意外性は確保でき、展開もあろうというものだ。勿論、その時、あの時計は売り切れているのだ。果たして父親は!そして店員は!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さあ結果である。今度は得点制ではなく、7人の審査員が3人の中からこの人という人をひとり選ぶ方式だ。お約束の「その前にCM!」もあり、審査員の選択は!
板尾創路が「エハラマサヒロ」、他の6人は全員「あべこうじ」!
あべこうじ、涙の受賞であった。おめでとう!
ファンファーレと紙吹雪と銀撃ち!
そして500万円!
因みに、魁塾の選択は・・・・
その時はもう「あべこうじ」という結果が判っていて、その流れで、念の為、一応的にやってみた結果、ほぼ全員が「エハラマサヒロ」に挙手。
ファンファーレも紙吹雪も賞金もありませんが。
エハラマサヒロさん、おめでとう!
そして、9人の出場者、司会の3人、7人の審査員、5人のコメンテーター、お客さん、そしてスタッフ、皆さん、敬称略で、お疲れさまでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と、今回のブログを書いている間に、
「第33回日本アカデミー賞」が決まり、
本家の「第82回アカデミー賞」も決まり、
「第40回NHK上方漫才コンテスト」も受賞者が決まった。
印象的だったのは、僕の好きな俳優、ジェフ・ブリッジスが主演男優賞を獲ったこと、長編ドキュメンタリー賞が「ザ・コーブ」だったこと、そして、遂に銀シャリがモンスターエンジンに勝ち、優勝をなし得たことだった。
これも、皆さん、お疲れさまでした。
さて、そのアカデミー賞の作品賞候補は今年は10作品。
『アバター』
『しあわせの隠れ場所』G
『第9地区』@
『17歳の肖像』H
『ハート・ローッカー』B
『イングロリアス・バスターズ』A
『プレシャス』F
『A Serious Man』E
『カールじいさんの空飛ぶ家』C
『マイレージ・マイライフ』D
この中で、僕は既に『アバター』だけは見たが、その他にも見たい作品がある。数字は僕の期待順。全部見た時に、一番面白かったと思うのはどれだろう?
ここにジェフ・ブリッジスの作品は入っていないが、これも是非見る。
一方、日本アカデミー賞だが、作品賞の顔ぶれは、
『ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜』
『沈まぬ太陽』
『ゼロの焦点』
『劒岳 点の記』
『ディア・ドクター』
ううう、見たいのが無い。
頑張れ、日本映画!

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