仕事柄、僕はテレビ番組をよく録画する。
現在構成作家として参加している番組は勿論だがその他に趣味と興味と醍醐味と毒味を目論んでいろんなジャンルの番組を録画している。
だがそれも我が人生の残り時間を考えるとあれもこれもと手を出すわけにはいかなくなっている。残!
30年ほど前、僕は新聞記事をテーマ別にスクラップしていた時期があった。
漫才、落語、演劇、映画、太平洋戦争、死刑、冤罪、天下り、天皇、右翼、水俣、三里塚、沖縄、イタイイタイ病、プロ野球、大相撲、オリンピック、マラソン・・・
手広くやり過ぎて、その数100を遥かに超えてしまった。
毎日来る新聞を、妻にも手伝って貰って切り貼りしていたのだが、最終的には貯まりに貯まった15年分ほどの新聞をゴミとして捨てることになってしまった。
その教訓を元に、残り時間の事も考慮し、現在、僕が録画するのは大体以下のテーマだ。
@お笑い
A漫才
B松本人志
C原発
D原爆
E東日本大震災
F証言記録(NHKの戦争ドキュメントシリーズ)
G戦争(太平洋戦争を中心に)
H沖縄
I朝鮮半島(北朝鮮、拉致を中心に)
J犯罪・死刑・冤罪
K水俣病
L美術(社寺建築、絵画を中心に)
M天皇
N差別・障害
その他、時宜に応じて「映画」や「スポーツ」「各種特番」、そして「桑田佳祐」「由紀さおり」「ビートルズ」「Jazz」など好きな音楽も精力的に録っている。
だが30年前の新聞と些か事情は違うがこれがまたもや貯まっているのが実情だ。録ったものを逐一見ている時間が無い。時間の非情さを恨むことなく粛々と励むしかない。非力なり。
ところで、Nの「差別・障害」。実は「差別」はその他のどの項目にもべったりとくっついている問題なのだ――と、僕は認識している。
「大阪人がふたりよれば漫才になる」と言ったのは漫才作家の嚆矢である秋田実だ。
「車が2台あれば交通事故は起きる」と、車の利便性ではない、それ以前にある凶器性を看破したのは誰だったか。
そして、これは誰でもない僕自身の実感だ「人間がふたりいれば差別は起きる」
またある時期、「日本の何処を斬っても電通が顔を出す」といわれたことがある。「電通キンタロー飴説」だ。今でもそうなのかは知らないが今の僕の実感は「日本の何処を斬っても差別が顔を出す」。「差別キンタロー飴説」だ。
だから上にあげた幾つかの項目のどれにもいろんな顔をした差別が顔を出す。
以下、かなり大雑把な受け売り、幼稚な分析だ。
@お笑い、A漫才、B松本人志
――総じてお笑いだ。元々芸人には河原乞食と言われた時代がある。被差別者が食うために芸と体を売っていた。
――何かを笑いの対象にすること自体が差別である側面を持つ。
――罰ゲームをイジメを助長するもの、差別に根差したものとして排除しようとする考え。
――表現としての差別糾弾問題。きちがい・かたわ・めくら・どもり・よつ・士農工商・支那人・黒んぼ・小人・アイヌ・エスキモー・用務員・坊主・屑屋・運ちゃん・大工・おかま・看護婦・片手落ち・目が無い・鳥目・猫背・サメ肌・らい病・バカチョン・・・・所謂、差別用語の問題だ。特にそれがお笑いの場で使われると問題視されることが多い。だが言葉は何かの都合で人間が産みだした伝達道具なのだ。如何に差別語であったにせよ、それによって何を伝えるかは言葉として普遍的な課題であり、伝えるべきことは当然あるべきで、もしそれが、伝えようとするものが差別賛成だとしても、人殺しOKだとしても、愛は盲目だとしても認知・了解されなければならないというのが僕の作品を作る上での基本である!
C原発
――下請け労働者という存在。過酷で危険な仕事はより下部へ、安価で委託されるという構造。
――都市部ではなく、人口や産業の少ない辺境に金と建物を餌に欲望を煽って建設する。土地と人心の収奪。電力会社の差別観そのものの人命の値踏みである。
――そして3・11以来、福島の人、もの、瓦礫までが危ないモノとして忌避されている。
――一方で東電社員とその家族がこれまでになかった世間の目や待遇に遭うことも予測される。だが畢竟勝ち組だとは思う。
D原爆
――就職、結婚、医療、補償制度等、原爆被爆者として直面する差別。
――中国人、朝鮮人被爆者問題。日本の責任放棄。
E東日本大震災
――国と東電、補償問題は想定内なのか外なのか知らないが進んでいない。それは持つ者と持たざる者の格差を更に開くことになるのではないか。懸念する。
――今回、津波に対し住むところとして安全な場所とそうでない場所が判明してしまった。今後、土地の価格に差が生じる。そしてそこに住まざるを得ない人々もきっといるに違いない。災害は思いがけない線引をする。
F証言記録、G戦争
――つまりは戦争だ。「戦争」は先ず兵隊になれるかどうかで差別が起きる。第二次大戦では日本は20歳以上の男子を甲、乙、丙、丁、戊の5種類に分けて統制分別した。
甲種は身長1.52m以上、身体強健なる者で、以下、乙、丙と質が落ちて行く。 そして、丁種として精神と肉体の異常者を排除している。戊種は現在病者である者だ。
勿論、兵役に適さざる者は‘非国民’として露骨な差別を受けたのである。
もし改憲の申し子・石原慎太郎の目論見通り日本が新しい戦争に突入したら、どんな徴兵制度にするかは分からないが、戦争に役立つかどうかで必ず差別はされる!つまり石原慎太老は戦争家であり差別家なのだ!
――また徴兵検査では表出しないが、部落差別は軍隊内で日常茶飯事であった。
――学歴による差別も甚だしい。無論、戦争を有利に戦おうとすれば適材適所は当然ではあるが、日本の軍隊はより高学歴な者が上官になる。彼らは戦闘の激しい前線には出て行かなくてよいシステムだ。しかも太平洋戦争時、高学歴でありうるのはより資産家家族の場合が多く、下層大衆は貧困の上の兵役を甘受していたのだ。僕の父は尋常高等学校卒で陸軍二等輜重兵だった。
戦争は内にも外にも差別が付着している。
H沖縄
――搾取、凌辱、収奪の島である。明が、清が、薩摩藩が、明治政府が、日本が、アメリカが。彼らがそう出来た唯一の根拠は差別観である。
I朝鮮半島
――北朝鮮の一部の特権階級とその他の国民との間に大きな縣隔があり、衣職住、医療、学業、情報などあらゆる面であからさまで苛烈な差別が存在することは国際的な認知事項だ。
――無論、江戸幕府〜明治政府〜日本帝国〜株式会社日本と受け継がれてきた日本人による朝鮮民族差別は歴史的事実だ。
J犯罪・死刑・冤罪
――犯罪は人間社会が生み出した膿。確執と欲望に溺れ そして負けた者たちの行きつく先。だが全てが彼らのせいではない。バイト感覚でやる今時の詐欺とひたすら地位と金だけが目当ての天下り以外は必ずや情状酌量の余地はある。僕はそこに差別の臭いを感じる。昨今の詐欺と天下りはやりたくてやるのだ。だが多くの犯罪は違う。誰もやりたくてやるのではない。やるしかないのだ。無論、100%近くその人に責任がある犯罪もある。だが、圧倒的に社会的弱者の起こす犯罪が多い。
――「冤罪」も社会的弱者がその罠にはまる事、はめられる事がある。「狭山事件」「赤堀事件」「野田事件」「東金女児殺害事件」など、知的障害者が如実に標的にされるのだ。
――更に犯罪を犯した後も弱者は選択肢や支援が少なく過酷な闘いを強いられる。社会の仕組みを知らないゆえに戦える余地がある事を知らないまま裁判という権力の中に埋もれて行かざるを得ない。その状況こそが差別なのだ。
K水俣病
――これは国策差別だ。未だにこれを解決し得ない日本国は、自民党であろうと民主党であろうと、一国家として差別を堅持しているとみて間違いない!
L美術
――社寺は現世救済の権現でもあるが、権力誇示の権化でもある。前者には差別の影が、後者には差別の光があからさまにある。
――絵画は日本画と戦争画に関心がある。前者には形式の差別が。後者には中身の差別が色濃い。
M天皇
――天皇制は差別制度ですから。
と、浅薄ながら僕には「差別」にはそれなりの思いがあるのだ。
だから、僕はそんなネタ=コントを書く。既に去年の事だが『コント衛門・6』ではこんなコントを上演した。
『女の家』
――暗転中
●音楽=オープニング音楽
●スクリーンに写真「女の家」
ナレーション
「(村中徹)私は知美を愛していた。
勿論、彼女も私を愛してくれていた。
ふたりの愛は激しく十分だった。
私たちの間はもう4年になる。
彼女には離婚歴があったが、
そのことはふたりにとって何の障害でもなかった」
●照明=明転
――下手からふたりの男女登場。楽しそうだ。恋愛中の金井知美(35歳)と村中徹(41歳)だ。男は手にバッグを、女も何か手荷物を。会社帰りか。
女「今日のお店は良かったわ。また行きましょう」
男「あのマスターは喋り過ぎだけどね」
男女「はははははは!」
女「あら、もうこんなところだわ!」
男「どうしたの?」
女「私の家、あれなの」(上手を指す)
男「え、そうなんだ」(些か驚く)
女「塀から木が出てるでしょ」
男「赤い屋根の?」
女「そう」
男「そうか、あの家で君は生まれたんだ」(感慨深げ)
女「何、どうしたの?」
男「いや、別に」
女「(やや唐突に)そうだ、子供に会ってく?」
男「え、急だな」(戸惑うが、迷惑そうではない)
女「でも、前から一度会わなきゃって言ってたじゃない」
――畳みかける女
男「そらそうだけど」
女「ここまで来たついでよ。会ってよ」
――この事は予定に入ってたかのように男の手を引く女
男「そうだな。日にちを決めて改めて会うとかより、
こんな方がいいかもな」
――男もいつかはこんな日が来ることは覚悟はしていたようだ
女「そうよ。じゃ、待ってて、呼んで来るわ」
男「うん」(嬉々として)
――女、上手へ走り家の玄関に立つ。男をフリ向く。男と目があう。照れ会うふたり。女、鍵を出してドアを開ける。※玄関とドアは実際にはない。役者のフリだけである。
●音効=鍵の音
――鍵を開け終わった女、男を振りむいて笑顔
女「ふふ」
――男も方手を挙げて応える
――女、家の中へ。
●音効=バタン(ドアの閉まる音)
――待つ男。嬉しさに耐えられず舞台上を動き回る!そして感慨に耐えられず声が出てしまう!
男「子供かぁ!あああ!
いっぺんに家族が増えるわけか・・・ふふふ!
頑張らないと!」(希望に膨らんだ笑顔だ。と)
●音効=ギィー(ドアが開く音)
――男、期待と喜びの顔で上手に向き直る。ところが何を見たのか、一瞬、顔が変わる!そして、男の口からは嘆きともうめきとも取れる声が!
男「ああああぁあああぁああ!」
――男、持っていたカバンを落とす。と、上手より車椅子を押して女が現れる。車椅子には少年が座っている。足元には毛布が掛けられ少年が障害者であることが分かる。女、車椅子を押して男の前へ。男の思いが溢れ出る!
男「いやいやいやいやいやいやいやいや!いやいやいや!(そう言いながら色んな想像を形にし、その都度。やはり絶望に陥いる)いやいやいいやいやいやいや!ややややややや!や!やや!やややや!やや!いいやいやいやいや!(一分ほどもこの反応が続く。そして男は膝から崩れ落ち、叫ぶ!)無理ぃーっ!」
――それを冷ややかに見ていた女
女「徹さん。これは、お隣の純くん」
――純くん、ぺこりと頭を下げる。慌てる男。
男「え?」
――同時に男の顔には後悔の念が走る。だが女はそれに委細構わず
女「じゃ、いよいよ、私の子供たちよ」
男「いよいよって・・・」(立ち上がる)
女「私の武と勇よ!」
男「え?ふ・た・り・・・」
女「そうよ」
――と、女の家から頭が二つ、胴がひとつ、腕が2本、足が3本・・・・ご存知、シャム双生児登場!男の前に立つ。
男「あああ!」(さっき以上に叫ぶ!)
――そして白目を剥いて崩れ落ちる男!
女「あなた、さようなら」(抑揚無く言う)
子供達「さようなら」
●照明=暗くなっていく
●音楽=エンドテーマ
END
女をヒコロヒー、男を平井勝昌(男性ブランコ)が演った。
このコントの為にまたきっと使うだろうと、中古の車椅子を買った。
第七回コント衛門は五月です!
車椅子が登場するかどうかは確定していませんが、是非のおいでを!

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