モーニングと言っても、朝という意味ではありません。
親しい人が亡くなり、この世に残された人がする、悲哀のワークです。
この作業は人によって、する長さがいろいろで、この作業をすることで、失った悲しみを乗り越えていけます。
私がいつも通る商店街の通りに台店があって、おじさんがその店の番をしていました。
路上に出された台の上には、所狭しと木彫りに色を塗った小さな猫の置物や、陶器で出来たものなどが並べられていました。
台の横には猫の肖像画がありました。
自分ちの猫の写真を持っていけば、絵にしてくれるのでした。
猫好きな私がその店を知らんぷりして通り過ぎることはできません。
「Nさんに見せたら喜ぶやろな」
私は自分が「これ、いいな」と思う前に、ガンで亡くなったNさんのことを思ってしまいました。
思うと同時に涙があふれて、もうそこにはいられなくなりました。
それから何回もそこを見て通るのですが、立ち止まることはありませんでした。
その場所を通るたびに、Nさんのことを思いました。
何十回と通り、何十回と思いました。いろいろなこと。
Nさんの悲しみ、苦しみ、願い、あきらめ、いろんなことに思いを巡らせました。
「もっと生きて、いろんなことしたかったろうに」
電話の向こうで別の友人が言った、
「いい人ほど早く亡くなってしまう」
という言葉を切なく思い出しました。
コートのポケットに手袋をはめた手を突っ込んで、そうして日は過ぎていきました。
ある日、その通りを通って行った先で、どういう話の流れだったのか、Nさんの話をして泣きました。
聴いてもらいました。
泣いた後の気だるい気分と、心の虚脱感を引きずって、その日は家に帰りました。
そして、暖かくなりはじめた、ちょうど今ぐらいのときでした。
私は、並んでいる猫に引き寄せられるように、店のおじさんに声をかけました。
「どれもかわいい猫たち。。。」
喜んでくれるNさんはもういないけれど、あれこれ迷って猫を買いました。
自分のために、初めて買ったのでした。
泣き、話を聴いてもらった人に、
「今までできなかったのに、できた」
「自分のために買えた」
そう話すと、
「うんうん」
そう言って、笑ってくれました。
まるでNさんがそこにいるようでした。
それから、まもなくその店はなくなりました。

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