『空気人形』
是枝裕和 (監督)
ペ・ドゥナ (主演女優)
ARATA (男優)
板尾創路 (男優)
2009年制作
2009年公開
☆☆☆☆

『
ワンダフルライフ』(1999年)、『誰も知らない』(2004年)の是枝裕和監督による「生きていくことの喜びと哀しみ」を描いたファンタジック・ヒューマンドラマ。業田良家による短編漫画『空気人形』(『ゴーダ哲学堂 空気人形』(2000年 小学館)所収)が原作とされているが、この映画のバックボーンとして同じくらい重要なのが、吉野弘による『生命は』(『詩画集 生命は』(1996年 ザイロ))という詩。空気人形(早い話がダッチワイフ)を演じた韓流女優ペ・ドゥナの圧巻の演技に怖れ入る。空気人形の持ち主を演じた板尾創路、空気人形が一目惚れする相手男性を演じたARATAとも好演していると思う。
人との関わりを避け人形だけを愛する中年男・秀雄。彼と暮らしていた(?)空気人形はある朝「心」をもってしまう。秀雄が仕事に出かけた後に街を探検して歩くようになった彼女は、瞳に映るもの全てに感動し、この世界の美しさと醜さを体験していく。密かに想いを寄せるようになったレンタル店の店員・純一に自分と似た「空っぽさ」を感じていた彼女は、自分の空っぽの身体が彼の息によって満たされたとき、初めて自分自身の空虚感が満たされるのを感じるのだった…。

本作の予告編を観ると、完全にラブストーリー路線(ある意味、本編より良く出来ていると思う)。最後に「秋、“心を満たす”ロードショー!」などという文字が浮かび上がってくるものだから、愛される喜びを知って心が満たされる、というようなどちらかと言えばありがちなテーマを、空気人形という変わった題材を用いて描くファンタジック・ラブストーリーだろうと思って観始めた(そういう映画を観て心を満たされたかったんです(笑))。
ところが実際は、ラブストーリーというより「人間とは何か」を扱った哲学的な映画だったため、映画館を出てからもずっと腕組みをして「うーん」と考え込むハメになってしまった。インターネット上の映画情報サイトで見つけたインタビュー記事等を読み、詩『生命は』を読み直し、原作漫画を1冊全部読んで、映画をもう1度観て、ようやく少しだけわかった(確かに少しだけ心が満たされた)。人形の「空っぽさ」、あるいは人形を膨らませている「空気」に、監督は様々な意味を込めている。その多義性を1度観ただけでは理解できずに混乱してしまった。最低2回は観るべき映画だと思う。是枝作品だけあって、ただ観ていればストーリーを楽しめるようなわかりやすい映画ではないのだ。

原作はわずか20ページ程度の短編漫画に過ぎない。そこでは、本来心をもたない空気人形が、心をもつことによって「切なさ」を知ること、しかし、そのことによって1回きりの生の重さを実感するに至るエピソードが描かれている。このお話を含む『
ゴーダ哲学堂』はその名に恥じぬまさに哲学的な作品で、そこで扱われている2大テーマは「人間とは何か」と「人生に意味はあるか」。監督は、特にこの漫画の「人間とは何か」を問うテーマ性を踏まえて2時間を超える物語を構築している。
『ゴーダ哲学堂』の特色として、「人間に似ているが人間ではないもの」(例えば、ロボット)が主人公に据えられることが多い。業田はそこで「あと何を足せば人間になるのか」を考える。人間を主人公とするときには、逆に、一般にネガティブな要素と考えられているもの(例えば、老いや怒りの感情)を取り去ってしまったときに、人間というものが非常に薄っぺらな存在になってしまうことを描く。読み進むうちに、負の側面を含めた人間性の全てを丸ごと肯定しようという業田の(思いのほか)熱い想いに胸打たれるようになってくる。映画で人形技師が「心なんてもたなければ良かった?」と空気人形に問うとき、それは観客に対する問いかけでもあるのだ。

この映画には、原作漫画を超えるものも含まれている。『ゴーダ哲学堂』では、「他者との関わり」についてはほとんど考察されていない。この映画を支えるもう1本の柱となっているものが、吉野弘の詩『
生命は』だ。この詩では、人間の「空っぽさ」をむしろ他者とつながっていく契機としてポジティブに捉える見方が提示されている。皆空っぽだからこそ人はお互いを満たし合う、という逆転の発想(「人類補完計画」?)。僕が、この映画を観て混乱したにも関わらず、「ここには何かある」と感じたのは、僕自身が抱え込んで生きている非常に大きな空虚感・虚無感をポジティブに捉えられる可能性を感じたからだろう。

韓国一の変な女優、ペ・ドゥナにメイド姿の人形を演じさせる、というアイデアに脱帽(ちなみに、秀雄の趣味で、ケバい格好ばかりしているペ・ドゥナにはちょっと笑える)。キャスティング段階で既に映画の成功を勝ち取ったようなものだと思う。ペ・ドゥナという人は面白い人で、ただそこに立って日常世界を眺めているだけで、社会に対して感じる違和感を表現できてしまうようなところがある。韓流映画『
頑張れ!グムスン』(ヒョン・ナムソプ監督 2002年)では、世間知らずの主婦として歓楽街をさまよっているうちに、夜の街の闇の部分が否応なく目に飛び込んできてしまう、というプロットになっているし、日本映画『
リンダ リンダ リンダ』(山下敦弘監督 2005年)では、彼女の演じる韓国人留学生にとっての日本社会という「非日常性」によって、学校の文化祭期間という「非日常性」がうまく表現されていた。彼女の非凡さは、そういう「ちょっとズレた人」を巧みに演じられるところにある。演じる役が「人間」でなくったって構わなかったのだ。
彼女の「人形演技」はお見事の一言。女優の技術ってこんなに(人間以外のものまで演じられるほど)凄ましいものなのか、と感心した。彼女はもともと表情の豊かさで評価されている人だけど、この世界に生まれ、何もかも初めて経験する驚きを新鮮な感覚で演じている。物語が進むにつれて上達していく日本語(彼女のセリフも全て日本語)も大したもので(何年も前から日本語を学んでいたようだが)、物語後半ではセリフのニュアンスをしっかりと口調で表現している。

ところで、さすが是枝作品と思ったのが、どこかが壊れた登場人物の多い中、唯一まともな人間に見えたレンタル店店員の純一。彼は彼でとんでもない空虚感を抱えていて、この映画の中で最も謎の多い人物でもある。彼が彼女にある提案をしたことによってこの物語は終焉を迎えるのだが、初めて観たときにはそのエピソードに込められた意味がわからず、それが僕の混乱の一因にもなっていた。この件に関しては、この映画は象徴的に描かれたエピソードのそれぞれから1つずつ教訓を引き出すことができるような映画ではないのだ、と納得することにした。
見所としてはやはりペ・ドゥナの人形演技か。初登場シーンで既に全裸(笑)。「R15+」に指定されている。空気が抜けていったり、逆に膨らんでいく様は見事。物語中盤に訪れる奇妙な「ラブシーン」での彼女の表情も吉。あと、音楽も良かった。
この世界は美しさ(と醜さ)に満ちている。我々にはそれを感じる心がある。心をもつ我々の「誕生」を描いた物語。必ず2度以上観ること!
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「空気人形」公式サイト

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