『絶対の愛』
キム・ギドク (監督)
ソン・ヒョナ (主演女優)
ハ・ジョンウ (主演男優)
パク・チヨン (女優)
キム・ソンミン (男優)
2006年制作
2007年日本公開
☆☆☆☆

韓国映画界きっての鬼才、キム・ギドクが描く「狂気の愛」。『
サマリア』(キム・ギドク監督 2004年)が圧倒的に良くて、キム・ギドクという名前は一発でおぼえた。「恋人に飽きられることを怖れ、何度も整形手術を繰り返しては現れる女の話」と聞いて(一部、誤解あり)、本作にも注目していた。本作の雰囲気は、邦題である「絶対の愛」という言葉に感じる不自然さ・窮屈さ・イカガワしさによってうまく表わされていると思う(センスは悪いと思うけど)。
付き合って2年になるカップル。恋人が自分に飽きてしまうことを怖れた女は、突然姿をくらまし、半年後、全身に整形手術を施し別人となって現れる。この映画について「本作のテーマは『整形』」と書くのは簡単だが、「整形」云々は題材に過ぎないのだと思う。「整形」という小道具を使って、彼が描き出そうとしたものはいったい…、何だろう?

オリジナルタイトルが「
시간(シガ
ン)」=「時間」(英題「Time」)であることから考えると、本作の第1のテーマは「リセット」なのかなぁと思う。出会った頃の2人に戻るためには、お互い相手を綺麗さっぱり忘れてしまうか、別人になってしまえばいい(そう、記憶がなければ、それは別人なのだ)。本作の女主人公が採ったのは後者。別人になって2人の関係性をリセットしてしまえば、出会った頃の2人に戻ることができる。それを繰り返せば、「永遠の愛」を手に入れることができる。ところが彼女、相手の記憶を消すのを忘れてしまった。彼はリセットボタンを押し込んだまま、まだ指を離していない。
前半、物語はやや冗長な印象。その分、後半になって物語はグンと加速する(本当、モノは言いようだな)。考えてみると、前半と後半で主人公が入れ替わっている。前半は恋人に去られた男が主人公で、女が彼の元に舞い戻ってきた辺りから女性視点で物語が進んでいく。
物語の中盤は、「成りすまし」と「三角関係」の話にもなっている(これが第2のテーマ)。男は新しく現れた女が実は半年前に黙って消えた恋人だとは気づいていない。女は「永遠の愛」を手に入れたくて新しい姿で現れたのに、彼は昔の恋人を今でも愛しているから自分を愛せないと言う。反対に、もし彼が今の自分を愛するようになるのなら、最も怖れていた「彼が自分に飽きて、他の女を愛するようになる」可能性を自ら証明することになってしまう。そりゃ当然そういうことになってしまうのだけど、そこまで考えていなかったものだから、少しずつ彼女の中の歯車がズレていく。飽きられることを極端に怖れていた彼女は、彼が彼女に飽きたりしていなかったことを、実に皮肉なかたちで知ることになる。

ここで終わらないのがギドク・ワールド。何と今度は、全てを知った男が顔を整形して姿をくらましてしまうのだ。おそらく手術の腫れがひく半年後に彼は戻ってくるだろう、と執刀した医者は予言するが、彼女は待っていられない。まだ見ぬ「本当の彼」を探し始める。これが第3のテーマの幕開け。「本当の彼」って誰?ってことだ。やはり「狂気の愛」を描いていた『
純愛中毒』(パク・ヨンフン監督 2002年)のテーマは、「愛する人の魂の乗り移った他人を愛することができるか?」ということだったと思う(ただし、こちらの「狂気」は自らの喪失感に発していないし、何ものも傷つけない)。そこで「同一人物」のキーとなっていたのは「共有された想い出」だった。ところが本作では、彼女、「本当の彼」であるもっと直接的な証拠を求めようとする。でも、たぶん、そんなものはないのだ。想い出を消してしまえば、それはもう他人。もう一度、最初からコミュニケーションを始めるしかない。
この、彼の「整形返し」の意図が僕にはよくわからない。何でこんなことしたのかな? 彼女から逃げたかったわけではないだろう。彼女と同じ行動をとって、彼女に自分の想いを体験させたかった? それも違うと思う。彼は悩んだはず。彼女の気持ちを理解できなくて。彼女と同じ行動をとることで彼女の気持ちを理解しようとしたのだろうか? 彼女の中で彼は死んでしまい、彼女は再び人生をリセットする…。
実はまだうまく消化できていない。このように、いくつかのテーマが未整理なまま封じ込まれているように思うのだ。ある意味、因果応報、自業自得の物語なんだけど、彼女を狂気に駆り立てたものは、それは彼女の中にあるわけだけど、だけどやっぱりそれを彼女自身のせいにすることは、僕にはできない(ここは人それぞれ、判断の分かれるところだと思う)。自分自身の埋められない喪失感が他者に対する愛というかたちをとったときに、自分自身や自分を含む関係性そのものを破滅に追い込んでしまうことがある、という話? 何だか『ベティ・ブルー』(ジャン=ジャック・ベネックス監督 1986年)を思い出した。実は狂気の愛を描いた映画はあまり好きではない。精神的な悪循環を描くと救いのない話になるのは必然で、観てられなくなっちゃうんだよね(僕は、小説にせよ映画にせよ、物語の世界にかなり没入してしまうタイプ)。

精神的にどこか不安定なところのある女性を『
女は男の未来だ』(ホン・サンス監督 2004年)、『
スカーレットレター』(ピョン・ヒョク監督 2004年)のソン・ヒョナが演じている。物語の最後の最後、ついに精神に異常をきたしてしまった(と思われる)瞬間の彼女の演技にはゾッとした。ただ椅子に座ってるだけのシーンなんだけど、「あー、ついにイッちゃったー」って感じで…。相手役の男性をどこかで観たことあるなぁと思っていたら、『
マドレーヌ』(パク・クァンチュン監督 2002年)でシン・ミナの元彼役で出ていた人(ハ・ジョンウ)だった(ただし『
マドレーヌ』には本名のキム・ソンフン名義で出演している)。仕事中、全然似合わないメガネをかけているのがもの凄く不自然(笑)。
映画館の大きなスクリーンで観て、映画のスクリーンで観る映像じゃないな、という気がした。映像があまり綺麗じゃない(2008年01月29日追記:これはこの映画館のスクリーンの特徴だったのだと思う)。『
サマリア』で観られたような、彫刻をシーンの中に配置する面白いカットもあるんだけど、画面の構成の仕方なんだろうか、テレビ大の大きさで見る画面という感じ…。
今日の一言韓国語は「
갈까?(カ
ルッカ?)」。「行こうか?」でしょうね。九州弁の「軽か?」とは全然違う。何だかんだで韓国語に興味をもってちょうど1年。多少韓国語のセリフを直接理解できる、という体験が面白かった。
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「絶対の愛」公式サイト(日本語)
※ JR札幌駅北の小さな映画館「蠍座」で26日まで上映(午後2時半くらい・午後8時くらいからの1日2回)。館内ちょっと寒くて、膝に毛布をかけたくなった。

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