「『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』☆☆☆☆」
英数字で始まる映画
『Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン』
ヤン・ヨンヒ (監督)
2005年制作
2006年公開
☆☆☆☆
大阪市生野区という日本最大規模のコリアンタウンで育った在日コリアン女性の撮った、自身の家族の日常を綴ったドキュメンタリー映画。主に父に焦点を合わせ、父と娘との間の葛藤と融和を描いている。テーマは「家族の絆」「父娘愛」。

ベルリン国際映画祭・最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)受賞作。映画祭の人が実に的確にこの映画を評していた。この映画の素晴らしいところは、@極めて政治的な内容を、A極めてプライベートな視点から、Bユーモアたっぷりに描くことに成功している点、だという。全くその通り。そういう意味で、とても良い映画。
監督の父は朝鮮総聯の幹部として人生の全てを「祖国」に捧げてきた人(朝鮮総聯は北朝鮮を支持する在日コリアンの団体だが、在日コリアンの99%は朝鮮半島南部(つまり、現在「韓国」と呼ばれている地域)の出身である)。30年以上前に10代で北朝鮮に「帰国」しピョンヤンに住む3人の息子宛てに、母は膨大な量の仕送りを送り、その生活を支え続けている(実は、息子だけでなく、たくさんの親類縁者にも生活物資を送っている)。しかし、2人が口にするのは、いつも決まって「祖国のおかげ」「将軍様のおかげ」という言葉。そんな両親のもと、模範的な在日コリアン家庭の子として育った監督は、表面的には期待通りの優等生として、しかし心の内では、両親の生き方に疑問を感じずにはいられない自分を両親に受け入れてもらいたいというジレンマを抱えて生きてきた。
映画は監督の感じてきた違和感に言葉を与えるように進んでいく。映画の終盤、この映画は娘の父に対する決別宣言なのだろうかと(僕が)思い始めた頃、父はこれまでなら激怒していたであろうような娘の質問に対して、思いがけなく胸のうちを吐露する。絶対に認めないと言っていた、娘の韓国籍への国籍変更すらあっさり許してしまう。やっとこれから父と自由に話ができる、と思ったその3週間後に、父は脳梗塞で突然倒れてしまう。監督が、映画を早急にまとめなければと決意したのは、そのときだそうだ(この映画は、闘病中の父に捧げられている)。

実は、もっと素人臭い作品ではないかと思っていた(何となく)。映画は、ドキュメンタリー映画監督としての視点と、その映画で扱われている当事者としての視点が、ギリギリのところでバランスを保っているように思う。朝鮮総聯の幹部なんて聞くとつい身構えてしまうが、家に帰ればどこにでもいる娘想いのただの父親。身内にしか見せない普段の姿はあまりにも普通(むしろ、明るくひょうきんなお父さん)。
本作の映像は家庭用ビデオカメラで撮影されたもので、監督がドキュメンタリー作品に興味を持ち始めた10年前から少しずつ撮り貯めていたものだという。映画は、大阪に住む父と母の日常風景を中心に、北朝鮮元山港へ向かう万景峰号船内の様子やピョンヤンに住む3人の兄とその家族の映像をもとに構成されている。監督は、朝鮮学校の修学旅行で訪れて以来20回も北朝鮮を訪れているが、その実情を知るまでには多くの時間が必要だったという。映画には、北朝鮮政府による公式報道からは窺い知ることのできないピョンヤンの日常が記されている。

韓国語学習者としては、在日コリアン家庭での会話の様子が興味深かった。会話の大部分は大阪弁で、大阪のオトンとオカンの会話そのものなのだが(言われなければ、日本人夫婦だと思うと思う)、突然朝鮮語に切り替わったりするのだ。朝鮮語の単語混じりの日本語でしゃべっているのかなと思っていたのだけど、センテンスの途中で突然日本語と朝鮮語が切り替わったりする。その一瞬一瞬、言いたいことを最も表現しやすい(伝わりやすい?)言語を用いているようだ(父は在日1世なので(母は2世)、他の在日コリアン家庭よりも朝鮮語比率が高いのではないかと思うが…)。
「ピョンヤン」という地名は、監督、父と母、3人の兄とその家族たちにとって、それぞれ異なる意味をもっている。しかし、この家族を結び付けているキーワードは「ピョンヤン」の他あり得ない。そういう意味で「ディア・ピョンヤン」なのだそうだ。
監督自身の書いた、映画を補足する内容の
同名の本も出版されている。
今日の一言韓国語は「
바보(パボ)」。韓流映画の字幕では通常「バカ」と訳されているが、言い方は「パ〜ボ」という感じで、「ア〜ホ」に非常に似ている。関西弁はかなり韓国語(朝鮮語)の影響を受けていると聞いたことがある。関西で「バカ」より「アホ」が多用されるのは、この「
바보」の影響なのかもしれない。
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「Dear Pyongyang ディア・ピョンヤン」公式サイト

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