2016/3/14

3月15日 犬千代、怒られて目覚める  学校紹介

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御主人様「昨日の君のつぶやきやけどなあ」
犬千代「あ、はあ、何か問題でもありましたか」
御主人様「最後らへんに『寒さの夏はおろおろ歩きたいが歩けず(てゆうか「寒さの夏」って意味わからんし)』というとこがあったやろ」
犬千代「はあ」
御主人様「まず最初に『てゆうか』なんて言葉を関西人はあまり使わん」
犬千代「えっ、吾輩は関西人やったんですか」
御主人様「当たり前やろ。大阪市東淀川区菅原のホームセンターで売られとったんやから関西人に決まってるやないか」「君もたった今『やったんですか』と言うたやないか」
犬千代「あっ、ほんまや」「どう言ったら関西人なんですか」
御主人様「関西人は『とゆうか』や。ほんで同じイントネーションでまったりと言うんや」
犬千代「はあ、なんとなくわかりました」

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御主人様「君は宮沢賢治のかの有名な詩『雨ニモマケズ』をベースにつぶやきを考えたらしいけど、いくら模倣とはいえ高尚な詩に『てゆうか』とか『意味わからんし』というアレンジは何事やっ」「失礼やろ」
犬千代「すんません」

御主人様「『意味わからんし』と言うなら、君はその後『寒さの夏』の意味を調べたんか」
犬千代「やってないです」
御主人様「それがあかんのや」「『意味わからんし』で済ませていたら、そこでストップやないか」「最近の若いやつは自分が知らんことや聞いてないことを棚に上げて『意味わからんし』と言うが、意味わからんことがあればその場ですぐに調べたらええやないか」「今はスマホちゅう便利なグッズがあるやないか」
犬千代「あの、スマホ持ってません」
御主人様「・・・・・」「ほんまやな」「すまん」

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犬千代「ところで『寒さの夏』の意味は何ですか」
御主人様「中学校の地理でならったと思うけど、東北地方は昔から天候が不順でなあ、特に夏に気温が上がらないことを『やませ』と言って、その年は秋のコメの収穫が激減するんや」
犬千代「そうなったら農民は大変ですね」
御主人様「江戸時代、大きな飢饉が何度かあったけど、特に1782年から1788年に東北地方でおこった天明の大飢饉は最大のもので、青森県の弘前藩では十数万人の人が餓死したと言われている」「宮沢賢治の故郷、岩手県の花巻も同じようにたくさんの餓死者が出たのだ」
犬千代「まったく知りませんでした」
御主人様「そんな中で農民夫婦の間に子供が生まれても死ぬのを待つだけや」「そやから農民の間には『間引き』といって、生まれて間もない赤ちゃんを親が手をかけて殺すということも行われたんや」
犬千代「えーっ、そんな」「今こうして御主人様のもとで暮らしている自分は幸せです」
御主人様「東北地方のお土産のひとつに『コケシ』がある」「一説には『コケシ』=『子消し』で、自分が手をかけて殺してしまった子供をしのんで、親が作った人形がルーツとされるんや」
犬千代「あまりにも悲しすぎます(涙)」

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御主人様「あんたがパロディした『雨ニモマケズ』には、実在のモデルがおるって知ってるか」
犬千代「もちろん知りません」
御主人様「宮沢賢治(1896〜1933)と同じ岩手県花巻出身の斎藤宗次郎(1877〜1968)ちゅう人で、教科書にも登場する内村鑑三の影響でクリスチャンになった」「クリスチャンが迫害された時代に(無限の愛)を貫いた人で、お寺の住職だった父親から勘当されるは、日露戦争に反対して小学校教師の職を追われるは、いやがらせや迫害で自分の娘はお腹を蹴られて数日後に死亡するはで、言葉では言い尽くせない苦労をしたんや」
犬千代「そんなんあまりにも可哀そすぎます(涙)」

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御主人様「教師を辞めた後、彼は新聞配達をして生活したんや」「新聞を配りながら、一軒ごと家の前で立ち止まって、中には自分を迫害した家もあっただろうにその家の祝福を祈ったというんや」
犬千代「とても自分にはマネできません」
御主人様「朝の新聞配達の仕事が終わる頃、雪が積もると彼は小学校への通路の雪かきをして道をつけ、小さい子どもを見るとだっこして校門まで走って届けた」「雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく、地域の人々のために働き続けたんや」「新聞配達の帰りには、病人を見舞って励まし慰めたという」
犬千代「でも宮沢賢治とのつながりがわかりませんが」
御主人様「宮沢賢治の父と斎藤宗次郎が知り合いで、賢治は宗次郎のことを尊敬してたらしい」

御主人様「彼は『でくのぼう』と言われながらも、最後まで(無限の愛)を貫き、彼が花巻を去って東京に引っ越すことになったとき、駅には自分のことを迫害していたはずの大勢の人が見送りに来てたんや」
犬千代「ええ話ですなあ」「ほんま涙なくして彼の話を聞くことができません(涙)(涙)」
御主人様「宗次郎のことを知っていた宮沢賢治は、こういう人になりたいという願いをこめて『雨ニモマケズ』を書いたとされているんや」

御主人様「本当の詩の最後らへんに『日照りの時は涙を流し』『寒さの夏はおろおろ歩き』とあるが、それは東北地方の気候の厳しさをあらわし、『みんなにでくのぼーと呼ばれ』『褒められもせず』『苦にもされず』『そういうものに』『わたしはなりたい』は、そんな斎藤宗次郎のような(無限の愛)を貫いた人になりたいという意味なんや」
犬千代「この詩はいつ頃の作品なんですか」
御主人様「賢治の死後に発見された黒い手帳に記された日付から、花巻の実家に戻って闘病中だった1931(昭和6)年11月3日と推定されている」
犬千代「その時代背景は如何に?」
御主人様「よくぞ言った」「今柴島高校で使っている日本史Aの教科書には以下のような記載がある」

 ・・・1929(昭和4)年にアメリカではじまった恐慌は全世界に広がり、日本では、金解禁による不況と【世界恐慌】とが重なる結果となった。輸出は激減し、外国からは低価格の商品は流れ込み、予想を上まわる大量の金が国外に流出し、経済界はいっそう深刻な【昭和恐慌】にみまわれた。

 アメリカの不況によって生糸の対米輸出が後退すると、物価は急落した。企業は倒産や工場の一部操業休止に追いこまれ、賃金切り下げがおこなわれ、大量の失業者が出た。農村では、生糸・繭の価格が暴落して、農民は大きな打撃を受けた。そのうえ、都市の失業者が農村にもどったことも貧しさに追いうちをかけた。特に、【東北の農村】では、【娘の身売り】や学校に弁当をもっていけない【欠食児童】が急増した。


御主人様「賢治が『雨ニモマケズ』を創作したころ、日本や世界は恐慌の真っ最中で、特に【東北の農村】の惨状はひどかった。こんな時代背景の中で、賢治は父の知り合いで迫害にあいながらも(無限の愛)を貫き、地域住民のためにつくした斎藤宗次郎のことを思い出し、『そういうものに』『わたしはなりたい』と記したのだろう」

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犬千代「深いですなあ」「そんなことを知らずに、『(てゆうか「寒さの夏」って意味わからんし)』と言っていた自分が恥ずかしいです」
御主人様「そやろ、そやろ」「最初から『意味わからんし』と思考ストップしとったら、この詩の深い意味を知らんままやったんや」

犬千代「知らないっていうことは、なんか損してますよね」
御主人様「よくぞ言った」「知らんより知っている方が得をするんや、豊かな人生を送れるんや」「知らないことを知ろうとする意欲、これを『知的好奇心』というけど、特に若者には大切にしてほしいと思う」「それと、パロディの詩の最後に『でも柴高生の癒しとなっている』とあったなあ」「その気持ち、忘れんといてや」
犬千代「はい、分かりました」「頑張ります」「ありがとうございました」(涙)
御主人様「うむ」

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