2016/7/7

『OKU NO HOSOMICHI』 第6回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

国語科 副島勇夫

第6回「おばあちゃんのパン〜前編(黒磯、殺生石、栃木県)」

 殺生石(せっしょうせき)には由来がある。

 今から800年ほどの昔、中国やインドで悪行を重ねていた九尾の狐が日本に渡来し、朝廷に仕え国を亡ぼそうとした。ところが正体を見破られ、栃木県那須野ヶ原へと逃げて来た。

 その後もこの妖狐は旅人、領民に危害を加えたので朝廷の命で二名の武将がこれを退治したのだが、狐は毒石となり毒気を放って、なおも人々に害を与えた。これを「殺生石」と呼び長く近寄ることを禁じたというものである。今から約300年前、松尾芭蕉が訪れた時でさえ、毒気いまだ強く、鳥獣虫などが死んでいたと記されている。

 殺生石のある一帯は那須温泉であり、この辺りから絶えず発生する硫化水素、亜硫酸ガスなどの有害ガスが殺生石の毒気の正体である。

 私が訪れた時は夏というのに肌寒い曇天の日であり、殺生石のある那須高原には霧が立ち込めていた。殺生石は木も生えない山肌の露出した斜面の、まるで干上がった川底のような所にあった。付近には「硫化水素ガス等が噴気していますので、風のない曇天の日は御注意下さい。」という看板が出ている。柵に囲まれた中に1.5メートル四方の石がごろごろと転がっているのが殺生石らしい。鳥獣虫の死骸はないものかと探してみたが、狐の毒気はもう弱まったのかワンカップ大関の空きビンが1つ落ちていただけであった。

 この年、つまり1987年私は3度目の旅に出た。前年冬に到着した栃木県黒羽から歩きはじめ、福島県福島市をとりあえずの目標とする150キロ、1週間の旅である。1日に25キロずつ歩く。このペースが私には丁度良いようだ。何も考えずにただ歩く。疲れた分しか前に進まない。

 それ以上でも以下でもない素直な旅。このことが何よりも心地良かった。目的地に到着してはじまる旅が多い中で、その過程、通り過ぎる町や人、風景が目的となることの新鮮さ。日頃、車や電車では見ることのできないものを、この歩くという速さはゆったりと見せてくれる。

 なかなか近づかない遠くの山、村と村、町と町の距離。もどかしさも楽しみの一つとなった。またグループではなく一人の旅であることが幸いしてか、実に多くの人と出会い、声をかけられ話をすることになる。これも歩くという速さならではである。

(第7回後編に続く)

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