2016/8/13

『OKU NO HOSOMICHI』 第10回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)
国語科 副島勇夫

第10回「ほんとの空の町、安達ヶ原の鬼婆、喋る電話ボックス〜前編(二本松、安達太良 福島県)」

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※ちなみに青い「●」の場所にあるのが福島第1原子力発電所。2011(平成23)年3月11日の東日本大震災で重大な事故を起こし、現在、廃炉が決まっている。操業開始が1971(昭和46)年であるから、S先生が旅行している頃はすでにバリバリ稼働していた。

※地図中央の福島県の太平洋岸は、生徒諸君も知っていると思うが、3・11の大津波で壊滅的な打撃を受けたところだ。(以上担当者加筆)



智恵子は東京に空が無いといふ
ほんとの空がみたいといふ
私は驚いて空を見る
(中略)
智恵子は遠くを見ながら言ふ
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ
あどけない空の話である

 詩人であり彫刻家の高村光太郎の妻、智恵子の故郷、福島県二本松市は南北朝時代から発達した古い城下町だ。

 旧国道の峠を越え、緩やかな右カーブの道の前方右下にその街並が見えてきた。左前方には山並みが続いている。前回の白河の関から3日後の1987年8月7日、奥の細道を歩く3度目の旅のことだ。智恵子の言うほんとの空は、今日は曇っていた。

 それもそのはずで東北地方は8月だというのにまだ梅雨明けしていない。今回の旅もすでに7日目だが、晴天の日は半分もなかった。左手に見える安達太良(あだたら)連峰も雲が掛かり山頂はどの峰も見えない。今にも降り出しそうな空の下、JR二本松駅に到着。駅前の小さな広場に「ほんとの空の町、二本松市」という看板が立っている。

 話は外れるがこの旅の目的は二つある。

 1つはもちろん芭蕉の足跡を辿って300年後の「奥の細道」を歩くことだが、もう一つは自分にとって郷愁が感じられるような原風景を見知らぬ土地に探すことだった。ただ眺めているだけで涙が出るような風景、懐かしさを感じる風景を生まれ育った土地以外で探す。

 この矛盾するような条件を満たす土地を見つけることで自分の価値観や自分が何者なのかということを知ることができるのではないかと考えたからだ。生まれ育った関西以外で「ほんとの空」に出会えるだろうか。この旅はそういう旅なのだ。(50歳を超えた今、この箇所は恥ずかしい。青臭いが、あえて原文のまま残した。)

 二本松を後にして私は『万葉集』『古今和歌集』に歌われた歌枕の地である浅香山を目指した。松並木の続く街道沿いに、手入れのいきとどいた公園として浅香山は残っていた。「安積山公園」の碑が立っている。高さ30メートルばかりの丘だ。小学生の男子の子が4、5人遊んでいる以外誰もいない。白河の関といい、この浅香山といい、今ではすっかり地元の子供達の遊び場となっている。

 荷物を背負った旅姿の私はいつも彼らの奇異の目に迎えられる。自転車やバイクの旅だと納得できるのだろう。歩いているということがわかると一層好奇心が湧くのか、じっと見詰められたり、どこから来たのか、どこまで行くのかを尋ねられたり、中には「おかあさ〜ん」と助けを求め母親を呼ぶ者もいる。そして時には地元の子ども達とドッジボールをして、見知らぬ家で麦茶を頂くこともあった。きっと300年前の芭蕉の頃の方が違和感なく受けとめられたのだろう。

 浅香山を出発した私は、芭蕉も立ち寄った鬼婆伝説の残る黒塚を目指した。この辺りから左手に安達太良山が近づいてくるはずなのだが、やはり曇天のため全貌が見えてこない。「毎日でてゐる青い空」にはとうてい出会えそうにもなかった。

 平兼盛が「みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」と詠んだ黒塚の鬼伝説は非常にポピュラーなもので『大和物語』や謡曲の「安達原」に脚色されている。簡単に言ってしまうと、安達原に住みつく鬼が老婆に姿を変え、あたりの淋しい一軒家で宿を求める旅人を喰ってしまうというものである。

 写真の黒塚の岩屋やその一軒家の一部となった大きな岩で、この岩を利用し壁と屋根を作った様が史料館の絵図に描かれていた。鬼の墓である黒塚、岩屋、史料館は「真弓山観世寺」という寺の境内にあり、中には鬼が使った包丁を洗ったと言われる出刃洗いの池などというのもある。史料館にはその出刃包丁が展示されている。

 それにしてもこの岩屋の積み上げられた岩は何なのだろう。人工的なものにも自然のものにも思える。かなり大きな岩が不自然に乗っているというのが第一印象だ。周囲にも大きな岩がごろごろしている。案外、もとはと言えば古代の遺跡だったのかも知れない。そこにいつからか伝説が生まれた。そう考えるのが自然かも知れない。

 黒塚を後にしながら歩き出すと目の前に1枚の看板「鬼婆もうまいと言った手打ちラーメン・もんぜん食堂」鬼婆伝説もすっかり神秘さを失ったようだ。(後編につづく)

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