2017/3/21

『OKU NO HOSOMICHI』 第30回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

第30回「「道ならぬ恋の聖地、トンネル駅の村」(青海川、筒石 新潟県。2000年 夏)

副島勇夫(国語科)

 「春の木漏れ日の中で 君の優しさに埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね……」

 今から25年ほど前、森田童子の歌う『僕たちの失敗』をリバイバルヒットさせたTBSドラマ「高校教師」は、主演の真田広之、桜井幸子を中心に、いくつかの禁断の愛を描いて茶の間の話題を集めた。当時としてはなかなか衝撃的な内容で、放送翌日は授業でもその話題になった。

 そのドラマの最終回で死を決意した2人が訪れるある駅は、ホームの向こうがすぐ冬の日本海で白い波が寒々しく立ち、印象的だった。レンタルDVD店に行って、「高校教師」第4巻のパッケージを見れば、裏側にこのシーンが載っている。この駅は新潟県の西部にあるJR青海川(おうめがわ)駅といい、日本一海に近いことでも有名な無人駅だ。(ちなみに日本一海に近いとアピールしている駅は多数ある。)

 2000年7月22日、奥の細道を歩く旅の第12回目。前年の到達地出雲崎を出発し柏崎で一泊。歩き出して2日目のこの日、途中雨に降られながら国道を歩き、2時間もしないうちに青海川駅を限下に見下ろす高台に着いた。ここから駅までの近道を下りていく。

[photo library]フリー写真より 現在の青海川駅

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 本当に海の横であることがよくわかる。駅の右手、つまり北側は小さな狭い海水浴場。海の家も売店さえもない、地元の人しか来ないような砂浜だ。左手は駅のすぐ近くまで山が迫り、その斜面に家がへばりつくように建っている。落ちそうと言いたいぐらいだ。山が入り組み、谷のようなところに集落がある。小さな集落だ。ロケの時はたいへんな騒ぎだっただろう。小さな駅だがホームは2本ある。

 10分ほどかかって駅舎の前に出た。振り返り見上げると、今下りてきた細い山道の上に国道がある。普通は同一平面に並ぶことの多い駅と民家と国道が、下から順にあるという奇妙な風景だ。駅には誰もいない。無人駅なので勝手に改札を抜け、離れた陸橋を渡るのも面倒なので線路に下りて海側のホームに行く。その下を覗くと真下に砂浜。天気が悪いせいもあって5、6人の海水浴客しかいない。山側のホームに戻り腰を下ろす。

 ドラマの場面は思い出せなかった。主演の二人がこのホームに立っていたようなという程度の記憶だ。駅舎に戻り中を見ると、電気も付かない薄暗い中に1冊の自由帳か置かれている。無人駅にはこの手のものがよくある。パラパラとめくると、やはりドラマのことに触れた記述が多い。

 それにしてもこの寂れた無人駅に実に多くの男女か訪れていることかわかる。夕陽の名所にもなっているようで、夕陽を見に来ました的な内容も目立つ。そんな中に48歳で会社を辞めた男性が若い女性とここに来て、明日から海外に逃げる。これからの人生などどうなるかも、どうしたいかも考えたくないという記述。他にも詳しくは記せないようなドロドロとした人間関係がいくつもいくつも記されている。どうやらここはあのドラマ以降、道ならぬ恋の聖地になっているようだ。

 学校のブログなので、あえて記さない、記せないが、ドラマの中の主演2人の関係もいわく付きだった。そのためこの場所は秘められた関係を持つ者を引き寄せるようだ。

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 そして、この自由帳を見ていると気になる記述が何箇所も出てくる。ノートの片隅に、記された文の途中に、「あの虫、何だ」とか「虫、ムシ」の文字。ページをめくると、また「あの虫」。少し気持ち悪くなって振り返ると一匹の蛾が目の前を過る。駅舎の中を見回すと壁のいたる所に薄茶色のマユのようなものや、おそらくそれが潰れた跡がある。そして天井を見上げると、いるわいるわという感じで3〜5センチぐらいの蛾が何十匹といる。これがアメリカのドラマ「Xファイル」なら、私は血液を全て吸い取られ、数時間後にはモルダーとスカリー(登場人物)がこの小さな無人駅に到着するはずだ。ノートの「あの虫」とはきっとこの蛾のことなのだろう。恋の聖地は蛾のサンクチュアリでもあるようだ。

 興がそがれた私はこの場所を発つことにした。

 それから2日後の24日、私は新潟県最西部の街である糸魚川を目指して歩いていた。しかし、この日も少し寄り道があった。それはトンネル内に駅があるというJR筒石駅を見ることだった。どうも今回の旅は駅に縁があるようだ。海沿いの国道8号線は歩道も狭く、トラックが猛スピードで横を擦り抜け危ないため、そこから3、4メートル高い自転車道を歩くことにした。左側はすぐ山で、右下に国道、さらに下は日本海だ。天気は晴れ。それほど暑くもなく快適だった。

 人気のない場所が続いた後、数軒の民家が現れたと思うと次第にその数を増し、やや大きな集落になった。自転車道はいつの間にか民家の間の道になっている。この辺りか筒石のようだ。私のいる所は高台で、見下ろすと川沿いに3階建ての民家がまるで温泉宿のようにびっしりと並んでいる。その一方で一番下の国道と同じ高さに一層目の民家か建ち、そこから数メートル高い所に二層目の民家、そして私がいる辺りが三層目で小さなスーパー、郵便局などがあり、保育園からは子供の声が聞こえてくる。

 当たり前のことだが、そこには生活があった。小さな村だ。人通りもほとんどない。小さな寺の見晴らしの良い境内で休憩する。山の方を見上げるとさらに民家が建ち並んでいる。つまり大きな段々畑に家か建ち並んでいるようだった。

 日本海側を歩いているとこういった海と山の間のわずかな平地に、肩を寄せ合うような集落を多く見かける。日本海からの風と雪、冬の厳しさが想像される。周囲を見回すが目当ての駅らしいものはない。トンネル駅なので線路など見えないだろうとは思っていたか、駅がありそうな気配さえもない。きっと山側にあるのだろうと上り坂を山へ山へと進んでいくことにした。

 そのうちに小学校が現れ、ますます民家はなくなっていく。見上げると左右の山と山の間を空中に道路が架かっている。それは鉄道ではなく高速道路だった。駅はさらに奥のようだ。左側の谷の向こうの山肌には、むき出しの巨大な地層が見える。この道は絶えず上り坂でほとんど山道と言っても良かった。歩くこと20分ほどして「筒石駅(JRトンネル駅)」の看板に出くわす。

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 そこから左に曲がると少し広い空間があり、山の斜面にへばりつくように駅舎がある。小さな待合室を駅長さんと思しき人が掃除している。無人駅だろうと思っていたが、やはりこの駅が無人では問題も多いのだろう。中を覗くと後ろの山に向かって暗い通路が口を開けている。私は入場券で中に入り、薄暗い通路を下りていった。しばらく行くと突然ホームに出た。ホームは幅か狭く、暗かった。大阪の地下鉄の駅をイメージしてはダメだ。まるで鍾乳洞や炭坑の中のような感じだ。不思議な駅だ。今か何時なのか、まるでわからない。この駅を毎日利用し生活している人々がいるということが何よりも不思議だった。私はその異空間を後にして筒石の集落への道を下りながら考えていた。

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 大阪に比べここでの生活は何百倍も不便に違いない。電車やバスの本数、駅からの距離、平地の少なさ、店の数、厳しい冬。何もないと言えば何もない集落。私たちの中の欲求はこういった場所を否定しながら増大していく。我慢できない。面倒だ。その言葉とともに自分の中で壊れていくもの。我慢の許容量の変化とともに変わっていく社会。せめて自分は不便を当たり前と思うようにしよう。何も起こらない平凡な時の流れをありがたく思うようにしよう。漱石の頃から山路は人を考える生き物にするようだ。擦れ違うクラブ帰りの高校生の表情はやはり晴れやかだった。

 次回は第31回「イチローの夏、日本の夏」(親不知、市振、新潟県。2001年、夏)です。

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