2017/7/13

『OKU NO HOSOMICHI』 第33回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

第33回「OKU NO HOSOMICHIサイドストーリーズ(1)」

国語科 副島勇夫

 今回はどうして『奥の細道』を歩くようになったのか、そのきっかけとなる話を記そうと思う。

 それは大学の1年生、20歳の初秋だった。前期試験が終了したことを理由に、友人たちと梅田で飲んでいた。その中の1人がすっかり酔いの回った顔で言った。「何かしたいな。人か聞いたら、何でおまえそんなことしてんねんと言われるようなこと。意味ないようで、時間の無駄のようで、後になってよかったなって思えること。何かないか。」

 彼の呼び名は「万蔵(まんぞう)」と言った。予備校時代から自分の名刺を配り、将来のため自分のための人脈作りに励む、学内の有名人だ。彼は後に大学を休学し、自転車で日本一周をし、台湾の大学で数か月生活し、インドで病気になり日本に送り返され、離島や山奥の分校の教師になり、今は消息不明であったが、どこかの小学校で偉くなっているらしい。

 彼は続けた。「歩こか。とりあえず歩こ。行き先は…和歌山。1日歩いたら着くやろ。徹夜ハイク。出発は明日の夕方の6時。梅田で飯食って出発や。」

 半ば強引な企画で、翌日、再度、梅田に集合した。参加者は万蔵の友人のK大学生が5人、私たちの大学からその兄弟も含めて7人の計12人だった。

 夕食をとり、しばらく休憩した後に出発。夕方の6時だった。目的地は南海和歌山市駅、85キロの道のりだ。平均的な歩く速さの時速4キロで歩いて20時間ちょっと。食事や休憩を入れて約24時間。到着は明日の夕方6時と見積もった。

 まず御堂筋を南下する。難波まで5キロ。夜7時。その後は国道26号線を歩く。和歌山までは一本道だ。快調だ。参加者は皆、話しながら、ガムや飴を食べ、遠足気分で歩いている。夜ということもあって不思議な高揚感があった。「奥の細道」を歩く原動力はこの高揚感だ。歩くうちに湧き上がる気持ちの高まり。むやみに大きな伸びをしたくなるような感じ。それは開放感なのかも知れないが、それを味わうために、後年、毎年歩いていた。

 話を20歳の頃に戻そう。私はこの時初めて大和川を越え堺市に入った。梅田から12から13キロ。まだ夜9時前だったと思う。皆元気で時速5キロペースだった。12人は少し距離を空けてはいたが、まだ全員が視界の中にあった。北摂中心の生活をしていた私にとって、仁徳陵や大泉緑地といった行き先を示す標示は新鮮で、大阪ではないような気分さえした。

 9キロ、約2時間で浜寺公園、高石市に入る。夜の11時だった。歩き出して5時間。集団はずいぶんばらけてしまい、視界に入るのは6、7人だった。携帯もない頃だ。はぐれたら自分で何とかしてほしい、とにかく26号線一本道だからというのが万蔵の言い分だったが、少し不安だった。参加者には友人の弟(高校生)もいた。未成年に何かあったら、自分たちの責任なのかなどと考えていた時、その弟くんの姉(彼女は私の同級生でこの徹夜ハイク唯一の女性参加者だった。)が大声で言った。「遅い。もっとペースをあげて。のんびりしてたら明日の終電に間に合わへんで。」

 それから私たちのペースは無理矢理あげられてしまった。高石市は30分で通過。時速6キロのハイペースだった。深夜になり、道ゆく人は他にはほとんどない。泉大津市、忠岡町を過ぎ岸和田市に入った頃には日がかわっていた。このあたりで何人かが音を上げはじめた。休憩も少なく、何よりペースが速い。しばらく休憩をとり、その後は元の4キロペースに落とすことにした。

 岸和田、貝塚の両市約9キロを過ぎた頃で夜中の3時を過ぎていた。横を暴走族の単車5、6台が声援とも威嚇ともつかない声をあげて通り過ぎていく。泉佐野市に入り夜が明けた。あたりに玉ねぎのにおいが漂う。泉州は玉ねぎの産地だということがつくづく実感される。朝食だというのに皆は玉ねぎラーメンを食べた。重たくなった胃を抱え歩き出すと、何人かが、ここでリタイアすると言い出した。南海電車の駅に向かう2人を見送り、しばらく歩くとバス停で寝ている3人の友人を見つけた。

 すっかりばらけていた集団をここで1つにしようと後続を待つことになった。1時間ほどが経ち2人がやって来た。聞くと2人岸和田でリタイアしたらしい。ここで総勢8人になった。午前10時を過ぎ、この後の行程と到着時間を計算すると残り30キロ弱、到着は夕方6時から8時の間だろうということになった。

 泉南市、阪南市を過ぎ大阪府の南端である岬町に入る。昼食をとり腰を上げると、立てない。足先から腰までがしびれたようで鈍い痛みがある。ようやく歩き出すと猛烈な眠気が押し寄せてきた。眠い。足だけが勝手に動き、頭の中は眠っていた。見ると眼下にみさき公園の遊園地が見える。8人は無理に会話をしながら歩いていた。雪山で「寝るな、今寝たら……」という感じだ。

 昼の3峙を過ぎ山道に入る。和歌山県との県境はもうすぐだ。名前は忘れたが峠を越え、和歌山県に入る。山道を下っていくと遠くに街が見える。足が痛い。膝がガクガクする。下りの方が辛かった。夕方になり、次第に暗くなると街に灯がともりはじめた。あと1、2時間で着くと思うとうれしかった。

 ここで小さなトラブルか起こる。このまま26号線を歩くと和歌山市駅を通り過ぎることがわかった。国道15号線に入ればよいそうなのだが、その道をまちがえ少し戻ることになった。8人のムードは悪くなり、誰がまちがえたのかと言い出すようになった。

 その時、万蔵が笑いながら言った。「ここで、そんなん、しょうもないって」なぜだか笑いがこみ上げてきた。道ゆく人にじろじろ見られたが、私たちはただ笑っていた。

 紀ノ川にかかる橋の上までたどり着くと向こう岸に駅らしきものか見える。ところが足が動かない。自分の体重が重く足が支えられず、うめき声が出た。あと少し、あと少しと思いながら、1つ1つ角を曲がり、人の波が向う方へと歩いていく。南海電鉄和歌山市駅到着は午後8時を少しまわっていた。大阪から和歌山、26時間26分。爆睡で、帰りの電車の記憶はない。

 後日、万蔵が私に言った。「おれ、チャリで日本一周するで。お前は何する。」「じゃあ、いつか『奥の細道』でも歩くわ。」それかきっかけである。

 次回は第34回、「夢の日付(那谷寺・永平寺 石川県・福井県 2003年夏)」です。

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