2021/8/25

『OKU NO HOSOMICHI』 第35回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

 〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で「STARWARS」?)〜

     『1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)』

   第35回「『栄光の架橋』からのクマの恐怖再び 長い長いトンネルの話」(福井県 2004年夏)

                              国語科 副島勇夫

 久しぶりの連載再開である。2017年以来、4年の月日が開いてしまった。これはひとえに私が42期、43期の副担で楽しんでいたためである。連載よりも学級通信を書き、クラスで遊んでいたため、連載は後回しにしてしまった。定年まで、あと1年半。連載の回数も、あと数回なので、何とかして完結させようと思い再開した。あと数回、今回、次回の滋賀県余呉湖、その次の滋賀県関ケ原、そして最終回の岐阜県大垣。全39話。きりが悪いのであと1回こぼれ話で、40話完結で終了。すでに発表されたものは、柴島ブログのMENUから記事カテゴリ「国語科S先生の『OKUNOHOSOMICHI』」をご覧ください。
 この紀行文は毎年数回「柴島ブログ」にあげていた。いつかは手直しをしたうえで、本にして自費出版なり、紀行文コンクールに応募するつもりだ。初任校でこの旅を始めた時から、そう考えていた。60歳で定年後の出版を予定していた。気が付けば、あと1年半である。連載だけでも終わらさないと、現在の柴島在校生のほとんどが知らない紀行文となってしまっている。
 前回は福井県の永平寺で終わっている。1年生の現代国語の教科書によく載っている「とんかつ」の少年が入門する古刹だ。今回は、その翌年2004年、今から17年前の夏の話だ。自分は当時42歳、まだまだ50肩も腰痛もなく元気だった。2004年8月16日、永平寺に戻ってきたところから始まる。
 
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 あと1週間で夏休みも終わる。本来なら予習やらなんやらで歩いてなどいられない時期なのだ。この年は夏休みの中盤までクラブの付き添いや実家の手伝いで余裕がなかった。今年はパスと思いもしたが、全部投げ出し、この旅に戻ってきた。完全フリーの「ホントの夏休み」なのだ。東京を出発して東北を目指していた頃は、まだ若く、そして1回につき1週間から10日の旅だった。学校も変わり、家庭も持つと、なかなかそうはいかない。1回につき5日程度、当然、踏破距離も短くなる。若い頃は1日30キロぐらい歩いていたが、40を超えると20から25キロが無難である。それに、この10年ほどで明らかに日本は暑くなった。近畿に戻ってくるに従い暑さと湿度も高まる。消耗戦だ。
 お昼に永平寺の山門に到着。昨年、拝観した場所だ。下り道、初日、一気に参道を下っていく。空はうろこ雲。秋だ。こんなに遅い時期のOKUNOHOSOMICHIの旅は初めてだった。気温29度だが、湿度は低く歩きやすい。快調に福井市の中心地を目指す。永平寺を目指した道を戻るだけだ。昨年見た光景が逆回しのように現れてくる。土産物屋、住宅、田んぼ、突然現れる住宅街、田舎道、駅。幼稚園には誰もいない。まだお盆が明けたばかりなのだ。初日は福井市のビジネスホテルに泊まる。疲れはない。テレビではアテネオリンピック。
 翌朝、まだ早い時間だった、テレビをつけると男子体操団体。最後の鉄棒。3人がノーミスで決めていく。最後の1人が着地へと、、「伸身の月面宙返りは栄光への架け橋だー」の名実況がここで飛び出す。今でも語り草の、オリンピックと言えば繰り返されるシーン。そしてゆずの曲。偶然だった。何気なくテレビをつけた。大会屈指の名シーンに出会った。柔道も敗退を繰り返し、ソフトボールもアメリカに延長で負けた。このあと女子マラソンで野口みずきさんが金メダルを取るのだが、この男子体操団体は印象深い。
2日目、外は曇り。予報では雨になる。この旅の期間は、予報では毎日が雨だった。朝食を済ませ歩き始める。日差しはあるが、行く手は暗い。鯖江(さばえ)市に入ったあたりで雨が降り出す。ひどくならないうちに武生(たけふ)に着きたい。写真を撮るほどでもない普通の小都市の道。レインコートを羽織ってただ歩く。解放感。この旅で一番心地よいものがない。雨、普通の道、それでも歩かなければゴールには着かない。武生に着いたあたりで土砂降り。ここまでで24キロ。まだ、歩けるが、土砂降り歩きは荷物や靴が濡れる。靴を濡らしながら歩くとマメができやすい。まだ、時間は早いがこの日は武生泊まりとした。テレビでは、甲子園の高校野球。東北高校のエースはダルビッシュである。9回2アウトから追いつかれ敗戦。東北に悲願の優勝旗は今年もダメだった。この旅のおかげで東北地方は第2の故郷だ、残念である。夜は「ウォーターボーイズ2」この頃の石原さとみは素朴だ。
  3日目。今回の旅はほとんどが町道だ。曇りが雨に変わっていく。今庄を目指す。今庄はスキーで毎年のように来るところだ。スキー場は通らないがふもとの今庄市にかけては次第に山間の道に入っていく。これでこそ「奥の細道」の旅だ。ポツンとある「今庄そば」の店で昼食をとる。昔の面影の残る今庄の街に入る。今庄から敦賀に向かうところに今回の最大の難所がある。「木の芽峠」峠道をいくつも超えてきたので峠道は楽しみだ。途中には廃墟となった集落も保存しているらしい。今回の旅のハイライトだ。町役場で、木の芽峠越えの最適コースの情報を尋ねると、、、、、今朝、クマが出て、地元のおばあちゃんが襲われたとのこと。通行止めになっていた。クマ、クマ。かつて、宮城県の山中でクマに出会った。その話は過去のブログに載せている。クマには会いたくなかった。他のルートを尋ねると
 木の芽峠の下を通り抜けるトンネルが今春開通したらしい。芭蕉が歩いたのは木の芽峠である。トンネルなどない。しかし、通行禁止である、クマにも会いたくない。トンネルしかない。だが、このトンネル全長1.5キロなのだ。歩道はあるが、幅が狭いらしい。長距離のトラックが飛ばしていくそうだ。

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 1.5キロのトンネルを歩いている人間がいるとは誰も思わない。それも1段高いとか、柵があるとかの歩道ではないらしい。猛スピードでトラックが横を通過すると風の流れで道路側に体が吸い込まれるのだ。それは何度も経験したが、たいてい数百メートルのトンネルだ。それが1.5キロ。
  歩くしかないか。クマ出没注意の看板。人が住んでいるのかどうかもわからない集落が2つ。実際にたどり着くと、「木の芽トンネル1783m」の表示。おいおい、283m長いではないか。意を決してトンネルへ。歩道は1mちょっと。赤みがかった照明が不気味。しかし、それどころではなかった。
 横をやや減速した大型トラックがびゅんびゅん通っていく。そのたびに吸い込まれそうになる。足を踏ん張り、左手をトンネルの壁に当てながら歩く。20分ぐらいで抜けるはずだが、長い。トンネルの壁はなぜか濡れているし気持ち悪い。邪魔だとばかりに乗用車がクラクションを鳴らして通り抜ける。「やかましわー」思わず怒鳴り返すが、次の車の音にかき消される。長い長い23分の後、ようやくトンネルを出ると、これぞ山間の道、山、畑、あとは何もない。ホッとした。クマも怖いが、長いトンネルも怖い。あの轟音の反響と風圧。注意を促すクラクションもあれば、怒りのこもったクラクション。
山道を下っていく。数えるほどの信号。自販機。町が近い。コンビニ。敦賀に近づいている。気が付くと左手がトンネルの壁の苔で緑色だ。午後3時、敦賀駅到着。今日は天気も悪いので、ここで泊まろう。
 距離22キロ。たいして疲れていないが、気持ちが疲れた。名物の「おろしそば」と「ソースかつ丼」を食べよう。あったかいお風呂に入ろう。
 翌日から天気は土砂降り。それが数日続くらしい。最近でいう線状なんやら帯である。めどが立たないため、今回はここで打ち切り。敦賀からJR特急雷鳥で帰る。1時間25分で新大阪。とうとう、この旅も家まで2時間のところまで戻ってきたのだ。現地まで飛行機も使って1日がかりということも多々あったのに、寂しさがこみ上げる。終わりは近い。

次回は第36回、「落雷の恐怖、豪雨の山頂 滋賀県 2005年夏)」です。



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