ガソリンの値段が高騰し始めて、
もう3年の日々が過ぎた。
最初から驚く程の早さで値段が上がり始めたが、
しかし、まさかレギュラーが3ドルを超える日が
やって来るだなんて、その時は思いもしなかった。
全ては、アホ中のアホ、
英語で標記するならDumbにestをつけたくなる
最上級のDumb、
うちの夫に「英語でアホのスペルって・・・」と聞くと、
すかさず、「B/U/S/H」と帰って来る最大級のアホ、
ブッシュのせいである。
アメリカに住む人間にとって、車はまさしく『足』である。
それが良いか悪いかの是非は別にして、
この環境で車がなければ、途端に買い物にさえ支障を来す。
その一番の理由は、公共の交通機関がないに等しいからだ。
ここに住む様になって、それでも、バートやカルトレイン等、
電車の姿も垣間見る様になり、ユタよりは余程の都会、と
思えるけれど、この本数の少なさ、この時間の曖昧さ、
どれをとっても日本の田舎の過疎地帯を想像させる頼りなさ。
とてもじゃないが、これだけを便りに生活しようとは思えない。
そうこうする内に、とうとうガソリン代を払えない家庭も
続出し始めた。仕事へ行くのに、そこで働いた賃金だけでは
ガソリン代を賄えず、家の中の物、ひいては家そのものまで、
仕事へ行く為に売ってしまう珍事が発生。
政府はどうするんだろう、と思って観ていると、
その事が多く発生する様になった後のスピーチで、
あの最上級のアホが言ったのは、
「アメリカ国民はガソリンに頼り過ぎ、
もっと公共の交通機関の充実をはかって・・・云々」
じゃ、お前から公用車に乗るのをやめろや!
・・・と、テレビの前で大声で叫んでしまった。
そして、その時に予想した通り、言ってるだけで何も起らない。
起っているのは、イラクで毎日多数の若者が死んでいく、という
現実の続行だけである。
そして、最近のモーターサイクルでの通勤者の増加がすごい。
正直、自分が通勤している時や子供のお迎えで
101を走っている時、
突然背後から現れては、車と車の間を縫って走るバイクは
私にとっては驚異である。
いつかちょっとハンドルを切った時に
轢死を招いてしまうんじゃないか、と怖い時がある。
だけど、その気持ちは痛い程わかるのである。
だって、毎日通勤に車を使っていると、
そのガソリン代、今のこの高騰が続いた状況では
毎月天文学的数字に達する。
が、バイク通勤に変えるだけで、通勤時間はさほど変わらず、
いや、もしかしたら短縮できる程で、しかも、
ガソリン代の節約も大した数値になるだろう。
しかし、今の今までアメリカ国民が車中心生活をするのに
何の疑問も呈さずここまで来て、
国を挙げて公共交通機関の充実に力を入れるでもなく来た
この長い年月を省みる事もせず、
あのアホはよくぞ
「アメリカ国民はガソリンに頼り過ぎ」と
一刀両断できたものだ、と呆れて物が言えない。
実に、多くの人達がそうやってバイク通勤に変えたり、
自転車通勤に変えたり、徒歩通勤に変えては
乏しい自助努力を強いているのを、
絶対にあのアホは知らないし、知ろうともしないのだから。
ちなみに、うちの夫も徒歩通勤しております。
近いのもあるし、健康に良いし、ガソリン代も節約できるし、
良い事尽くめだとは思う。
思うけれど、こんな様変わりな世界にしてしまったアホの
責任はどこまで追求できるのだろうか、と考えると、
持って行き場のない怒りにかられる。
こんなの、東条英機並みの戦犯じゃないのか?
ほんまに、親の顔が見てみたいわ!と思うのだが、
よくよく考えると、死ぬ程親の顔、見た事あるじゃないか。
で、その親もアホやったもんなぁ〜〜〜・・・
あかんな。

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