宿題第二弾。
我ながら、ようやるなぁ、と感心しきり。
だが、今回はぼんの話。
これがぶしゅぶしゅだと、握りこぶしを背中の裏で
ワナワナと震わせていたのだろうが・・・。
ぼん、1月の半ばから1600年代の歴史という事で、
壮大なるプロジェクトの波に揉まれていた。
指定のあった冊数の本から、60本にも及ぶノート(注)を
作り上げ、それらを元に数本のエッセイを書き上げた後、
この大プロジェクトの総決算として、
その自分の調べ上げた時代をビジュアル的に作り上げるのだ。
(注:ここで言うノートとは日本のノートとは意味が違い、
どちらかと言うとメモ等に近い意味がある。
この場合は、アメリカのどこにでもある単語用の白いカードに
60枚分の情報収集をした、という事)
ぼんの選んだ国は日本で、その当時は江戸時代の
前期から中期にかけての頃か。
図書館へ行って、指定数の本を借り上げ、
私にお尻をたたかれながらも、自力で60本をソース化させる。
エッセイにいたっては、言うまでもなく、
私の介添えなどは必要皆無である。
カリフォルニアへ来た時には、ライティングにいたっても、
その学力の高さに閉口したぼんではあったが、
努力の介あって、今では成績もAとなった。
元々、本を読むのが好きなので、文章的センスは
ライティングを勉強した事の人間とは思えぬ程であったと
教師も言っていたので、グラマー、メカニカルな事が
追いついてくるとおのずと成績も上がったようである。
なので、江戸に関するエッセイも全てAで上がって来た。
だが、問題は、その先の集大成、時代のビジュアル化である。
そもそも「時代のビジュアル化」ってなんぞや?
日本で日本式の勉強しかしてこなかった身には、
ここに至るまでも、「まるで大学のような学問の仕方だ」と
感心して見入っていたが、ここまで来るともう日本式頭では
お手上げ状態となってしまう。
なので、ぼんも鼻から親に頼ろうなどとは思ってもみない。
だから、私も「それって何やろねぇ」と不可思議には思っていたが、
「ま、私の与り知らぬ世界の事」と知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。
しかし、その実、運命はそんな心安く生きていた私をも、
大きく巻き込もうとしていたのである。
そんな事、昨日の歯のクリーニングの時には
思いもしなかった事である。
学校へ迎えに行って、車に乗り込んだぼん、
乗り込むなり、「ああ、とても大変な事になってしまった」と言う。
どうしたのか、と問うと、
「僕が明日のファイナルに出展しようとしていた物がボツになった」
と言う。ボツとはどういう事なのか?一体、ぼんは
何を出展しようとしていたのか?
「僕はね、江戸をビジュアル化するって聞いた時に、
なんとなく、日本のティーセットを思い出したのね、
だから、ママにティーセットを借りて、
それを飾れば良いかな、と思っていた訳」
ふむふむ、それはあかんやろう。意味がないような気がする。
「そしたらさぁ、ミズBがダメって言うんだよね。
自分できちんと手作りしないといけないんだって。
それに、それを見れば江戸と連想できるような物でないと
いけないらしい。ならば、ティーセットは全く意味がない」
そりゃそうである。当然である。
「ふーん、そうなんだぁ。で、デューはいつ?」
「明日」
「え?」
「明日」
「え?なんですて?」
「だから、明日」
どっひゃーーんの大パニックである。
え?誰がって?そりゃ私が。
「ええー、どうするの?大丈夫?」
「うん、まぁ、僕としては大丈夫なんだけどね。
ミズBもとても心配していた」
だろうねぇ。
「何かアイデアはあるの?」
「うん、あるよ」
そうして、長男は子供部屋に籠ると、
なにやらせっせと作り始めた。
江戸と言えば、いわゆる士農工商である。
ぼんはそれをカードボードでピラミッドをこしらえ、
ビジュアル化する事にしたようである。
そこまでは私も手放しで喜ぶ程の良いアイデアではある。
だが、ピラミッドが出来上がった所で、
はたと彼の案はどこにも行かなくなってしまったらしい。
いわゆる、「糞詰まり」状態である。
だが、腸につまった一物が、どのような形にしろ外へ
出ないではいられないのと一緒で、
彼の糞と化したアイデアも
どうにかして頭の外へ出さねばならない。
気張っても、踏ん張っても外へ出ない一物。
あなたならどうする???
そうなんである。
何をしても出ない時には下剤をかけるしかない。
で、この私こそが、その下剤となった訳なんである。
下剤と化した私は、ぼんに向きなおって、
どこに作用するべきなのかを事細かく聞く。
「で、そのピラミッドにどうしようっての?」
ピラミッドは4枚の板状の厚紙と同じ厚紙からなる支柱で
出来ている。
「あのさ、この一番上の部分が武士でしょう。
だから、一目見て武士と分かる物を何か置きたい訳。
して、次が農民。ならば農民と分かる何か。
次は工業の人達。工って一体何?
最後が商業の人達。商って一体何?」
はは〜ん、なるほど、なるほど。
「だけどさぁ、その前にボール紙のうざさを消す為にさ、
色を塗りたいと思うのだけど・・・」
私はアクリル絵の具を、トールペイントの講師をしていたり
した関係で100以上持っている。
だが、置く場所を考慮して、今はユタの倉庫の中に置いている。
この時ほど、その絵の具を持って来ていたら良かったのにぃ!
と、思った事もない。
しかし、無いものは無い。なので、私の綿菓子よりも軽い脳みそを
うううううーんと捻って、カチカチの鼻くそ位に固めた所で、
「折り紙や!」と思いつく。
「折り紙をさ、そこに貼っていったら?
でさ、折り紙で色々とそれを連想する物を作って置いたら?
例えばぁ、武士は兜!とかさ」
「おお!ママ!それは良い考えだね!」
そうして、嬉々として折り紙張りをし始めたぼんであるが、
喜色一面の紅を「士」の土台に張り付けた長男、
兜は折り紙超得意の次男に折らせながら、
またもやはたと行き詰まってしまった。
「だけどさぁ・・・、次のファーマー達はどうしたらいいの。
ケイたろぴんが言うには、大根の作り方も米の作り方も
耕す時に使う物の作り方も折り紙にはないってよ」
まるで、慢性便秘の乙女のような頭を抱えているぼんである。
さて、ここからはもう「死のロード」である。
あの、高校野球大会が始まって、ホームである甲子園を離れ、
数週間をさすらう我が阪神の如き私の旅が始まるのである。
「農」は、農家風の家屋を折り紙でおり、
お弁当に使う緑のバランを稲穂に見立て、
その真ん中にゴンベさんを案山子なのか、農作業するおっさんなのか、
見ようによってはどちらにも見える、
非常に微妙に曖昧な位置にはりつけ完成。
「工」は、士農工商において言うのは一般的に大工の事だった
らしいが、ここでそんなアーキテクチャーを考えている暇はない。
なので、きちんと広辞苑で意味を調べてから、
「ものを作ることを・・・」を重く鑑み、
なぜか七宝というビクのような物をこしらえる。
そうして、宮大工を彷彿させるように、
下地は桃色と白でおめでたく、短冊を数枚作り、
そこへ俳句を筆ペンで書いたのをちりばめた。
それだけでは寂しいので、桜などの花びらを連想するように、
クリーム色と濃い赤紫の色紙を細かく切ったのを
一緒にちりばめた。お世辞にもきれいとは言い難いが、
それなりに雰囲気は出る。
最後の「商」は、これが自分でも名案だ!と思ったのだが、
帆掛け船を作り、その帆の部分に塩だの鉱だのと書いて、
その昔、鴻池一族が海運業を営んでいたのを思い出して走らせる。
(いや、実はただ貼付けただけ)
そうして、金の勘定にうるさかった商人の特性を
まざまざと見せつけるように、四角い箱を折り、
その中に五両、十両と書いた小判を作っていれておいた。
全てが終わったら、なんと夜中の2時だった。
ひとつひとつが手作業な上に、私は折り紙をそれ程知っている
方ではないので、一々本を見ながら折ったので、
尚の事時間がかかった。
ぼんは、ただ私の指導の元、色紙を土台に貼付けたり、
小判を作ったり、小判をかさ高く見せる小細工を仕込んだり・・・、
そんな事ばかりしていた。
ミズBは、とても心配していたようで、
私も手伝って出展会場の図書室へぶつを運ぶと、
「まぁー!一晩でよくもこれだけ!
本当にすばらしいわ!とても信じられないわ!」と
自分の事のように喜んで下さった。
そうして、私は、内心、褒められているのはぼんでなく、
この私なのだと錯覚し、大いに喜んだりしていたのだ。
これで無事に一大プロジェクト江戸を終了したぼん、
友人達と打ち上げに出かけて行った。
本当なら、その打ち上げ、このあたくしこそが出席するのよ!と
母は内心思ったのだが、どうせ出ても、
あのティーンエイジャーの英語に辟易とするだけなのだ、という
恐ろしい現実を思い起こして、懸命にも内心だけに止めておいた。
ああ・・・、しかし、
いつになったら、あの人達は自分で全部できるようになるのでしょう?
私は高校になっても、おかんにスカートを縫ってもらっていた。
ならば、高校卒業まで私にこの重荷は
ついて回るのでしょうか?
その上、おかんは二人だったが、
私はまだ3人もおる。
・・・、ああ、後9年もある。体力が持つかなぁ?

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