先日、テニス仲間とテニスの後にお昼ご飯を食べに行った。
行った先で色々と話をしたのだが、
その中で、いかに日本で男性達が意地悪だったかの話になった。
ある日、葛西から東西線に乗ったのだが、
その時に私の背後に立っていた女の子が私に倒れかかって来た。
色々と気分が悪くなった事の理由はあるのだが、
一種の貧血の様なものだとは後で分かった事。
とにかく、脱力した人の重さというのは尋常ではなく、
私には支えきれない感じだったので、電車のドアに身体を預けてつっぱり、
その子を支えながら思わず、
「どなたか男性の方、手を貸して下さい」と言ったのだけれど、
みんな見てみぬふり。
これには愕然とした。
アメリカだったら、そんな事言うまでもなく、
すぐさま頑強な男達が私からその女の子を引き取ってくれたに違いない。
それに引き換え、その車両に乗り合わせた男達の薄ら寒い顔ったらなかった。
真ん前に立っていた男性なんぞは、目が泳いでるんだよなぁ。
で、結局助けてくれたのは、側に立っていた女性で、
半分、重みを引き取ってくれて、次の駅で降ろしましょう、という事になり、
しかしながら、その彼女と降りてみれば、降ろしたら用事は終わり、で
後は煮るなり焼くなり好きにしてくれ状態で、
その女の人もさっさと電車に乗って行ってしまった。
まぁ、皆さん、朝の忙しいひと時、色々とご事情がおありになったのでしょう。
私も後30分で自分の予約していた新幹線が出てしまう、という感じだったけれど、
「これはもう致し方ない」と腹を括った。
その女の子は高校生だったのだが、私は生きている人間で、
こんなに顔色の悪くなった人を未だかつて見た事がない。
思わず、亡くなった時の父の死に顔を思い出す程の色のなさだ。
そんな子を置いて、新幹線もくそもないよなぁ、と、
多分、あの車両の中では私が一番お気楽人間であった事も間違いが無く、
とにかくこの人と一緒にいよう、と思った。
所が、たまたまその駅で降りる予定だった人が一人いて、
その人が「僕が駅員さんを呼んで来て上げる」と言ってくれ、
本当の本当に助かった。
で、私は駅員さんが来るまで、その彼女と色々と話した訳だ。
その詳細は別の時に譲るとして、だ。
とにかく、私が驚いたのは日本人男性の『使えなさ』だ。
色々と好意的に考えたいので、自分の中で
「やっぱり高校生女子だったから、身体を触る事になるし、、とかで
躊躇しちゃったのかなぁ」と結論づけているけれど、
でも、本当の本当の本当の所は、
「こんなに具合の人を助けて、訴えられる所まで日本社会も病んではいまい」とも
思っている訳で。
その話をお昼ご飯を食べながら話しのだ。
男性二人に女性が私を含めて二人の4人組み。
男性二人とも、その話を聞いて驚愕。
特に、一人は東京出身の人だから、「なんでだろう」と困惑。
その困惑につけ込む様に西側出身の男性が「東京特有の話だ」と言う。
ううーん、残念だが、大阪ではきっとこんな事は起こらないと思う。
ま、降ろしたら電車に乗っかって行っちゃう、ってのはありかもしれないけれど。
でも、あんまり東京出身の人が困惑するので、あまりにも気の毒になり、
そこで私の好意的論、「相手が高校生女子だったから」と言うのを持ち出し、
他のメンバーも「うん!それはあったかもしれないよね」に落ち着いた訳だが、
しかしながら、やっぱり、日本の男は使えん、との思いは払拭されない。
そこから私の友人が、
「でも、やっぱり日本の男性はダメよねぇ、デパートとかでも
女性が後ろに立ってるのに、自分が入っちゃったら、それで終わり。
子供が小さかった時にストローラーなんか押してたら、ガコンッて
よくなっちゃってたわ。レディ・ファーストは文化にないとしても、
やっぱり思いやりに欠けるわよね」。
で、いきり立ったのがその場にいた男性達二人だ。
「僕は支えるよ」
「僕も開けて上げる」
「日本で開けてあげたら、女性の方が慣れてないから、
『すみませーん』って言いながら、走って通っちゃうのな。
ゆっくり行けばいいのに」
しかし、どうやら私はとっても「やってねーよ、お前ら」的顔をしていたに違いない。
その顔に気づいた一人が
「僕、やってるよ。やってるよね?やってるでしょ?」と同意を求めて来たが、
肝心な所では全く素直ではないが、こういう所では異常な素直さを発揮する私は、
「I don't think so」と早口で言ってしまった。
そしたらどうでしょう、この友人は、
「えぇぇ!?そこまでがっかりする〜!?」という程の落胆ぶりだ。
他の二人は爆笑であるが、わたしゃ思わず、この正直で素直で正論という剣を
常に振りかざす私が「うん、全然じゃないよ、全然じゃ。50%くらいかな」と
素早くフォローする程のがっかりぶりだったのだ。
しかしながら、もう一人の男性にも私は
「おまえもやってねぇーよ」と言いたかった。
なんか、その彼はテニスの飲み会等で一緒になると、常に我々女子の後ろにいるのだ。
そして、女子に開けてもらっている。
『開けてあげる』という行為は、女子の後ろにいても、
ドアの前ではさささと前に移動し、「さぁ、どうぞ」と開けてあげる事を言うのだ。
だから、誰もいなければ開けてあげるけれど、
女子が先にいれば女子に開けさせる時点で、本来は落第点なんだよ。
うちの息子達を見ていれば、そう思う。
なので、彼らはやっぱり根本が日本男子なんだな、と思う。
思うけれど、でも、でもですよ!さすがに日本に住んでいる生粋の日本人男性とは
一線を画するのだ。なんちゃってドア開け行為であっても、開けてあげられるし、
自分がドアを手にすれば、支えて上げる事はできる訳だ。
自分だけ滑り込んで、「後は知りません」とはならないのだ。
ましてや、彼らが同じ車両に、私の知らない人として同乗していたとして、
私はきっとあんなに潰れる程の重さを知らずにいれた事だろう。
どうしても去らねばならなかったとしても、
「行きますが、すみませんね」と声をかけて、「後は知りません」的に
立ち去る事もなかった筈だ。
アメリカに住むのも良い事がある。
女子は80歳になっても、女子だ。
私はついぞ、自分が『おばさん』だという概念を合衆国内で持った事が
なかった事に、日本に行って気づく。
私は女の子なのだ、この国では。男性達はとても親切で、とても優しい。
「くそばばぁ」的態度なんか、青少年の男子達からさえも取られた事はない。
そして、生粋の日本男性だった人達もそれなりにアメリカナイズされて行く。
良い具合に、女性は永遠の女の子だ、という概念が少しずつ刷り込まれて行く。
そして、どんどん優しくなる。
で、つい最近、そのがっかりしていた彼と何かのドアの前で重なる事が
あったのだが、彼はさっさとドアを開けて、
「さぁ、どうぞ」と言った。
二人で思わず大笑いした。
「すごーい、いきなり100%だな」
「前からやってたし」
「そりゃ嘘だね。でも、いいよ、いい感じだよ」
やらないと思っていた人がやると、しかしながら、気恥ずかしいもんだな、と。
日本の男性達も気恥ずかしいのかな。
なので、気持ち良くドアを開けて、私のみならず、他の人達が行き過ぎるまで
ドアを押さえていた彼や彼らの為にも、
微塵も「気恥ずかしい」なんて思っちゃいかんのだ!と、胸を張る。
「ありがとう」とにやにや笑いながら。

4