あの「子猫殺し」の文章を書いた坂東女史が、
言い訳を毎日新聞に寄稿したようだ。
これがそれ。
色々と言いたい事はあるが、二つだけ書く。
これ、ほんまに作家なんか。
何回書いても、こういうのしか書けんのか。
文章を書くプロとしてどうよ?
もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
言わせて頂くが、もし私だったら、
生まれた子供を殺される事の方に魂が引き裂かれる。
私なら、「ほんだら、私の子宮を取ってくれ!」と叫ぶぜ。
絶叫するぜ。泣きわめくぜ。
ここまで自分に当てはめて考えるのだとしたら、
どうしてこの発想が出来ないのか、
この人の人間としてのバランスの悪さが伺い知れる。
然り、言論は自由だ。
自由だからこそ、皆がこぞってこの作家もどきを
糾弾するのだ。自由だからこそ、告発される事もあるのだ。
書く事も、話す事も、考える事も、確かに自由であるべきだ。
だが、法に触れれば、それは元も子もない。
それ位の事がわからないのか。
このバカタレが。
全くもって、この人間は片手落ちだ。
子猫を殺す度に自分も殺してると言うが、
じゃ、本当に死ねば?と憤りつつ思う。
殺した後に、この人はこの人なりに心を傷めているのかも
しれないが、その後には水を飲み、物を食べ、
息をして、子猫の事はなんとか忘却の彼方へ押しやって、
「タヒチではみんなやっている」と嘯いて生きているのだ。
そうして、こんな下らない、意味の無い、金貰って
物を書く商売の人間が普通なら書けないだろう駄文を書いて、
言論の自由を笠に着て、自分の正当性を脈絡無く主張する。
アホか、ボケ。
寝言は寝てから言え、このボケナス。

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