昨晩、『Akeelha and The Bee』という映画を観た。
Spelling Beeの映画で初めてその正体を見たり!、と
言う感じで驚いてしまった。
スペリングビーとは大勢の皆さんの前で、
一人ずつマイクの前に立ち、出題者から言われた単語の
綴りを口頭で答える競技である。
全米で盛んに行われ、年に一度全国大会もある。
言葉を知っている、という事も然る事ながら、
それだけでその競技を勝ち抜く事は出来ない。
人前でも上がらない、冷静さまでもが要求される。
最初の内は、そんなに大した単語も出て来ないのかも
しれないが、私がそんな所に立たされたりしたら、
「お芋さんは?」と聞かれても一文字落して
チーーーンと鐘鳴らされて終わりかもしれない。
そう。チーーーンと鐘が鳴ったら終わりなのである。
「That is correct!」と出題者に言わせなければならないのだ。
なんとも難しい事ではないか。
その上、勝ち抜けば勝ち抜く程、言葉の難易度は増しに増す。
語源を知らなければ、とてもじゃないが勝ち抜く事は出来ない。
ラテン語系なのか、フランス語系なのか、ギリシャ語系なのか。
そうして、英語の単語のほとんどは、
小さなそういう言葉の集まりだから、何系でディフィニションを
知れば、おのずとスペルが分る・・・位まで訓練しないといけない。
もちろん、専任のコーチをつけて猛特訓をするのだ。
私は長くアメリカに住んでいるけれど、
スペリングビーについぞ興味を示した事がなかったので、
その内幕を知って大いに驚いた。
そうして、先の恋バナでお馴染みのナツオさんの娘さんが
その学校大会にクラスを勝ち抜いて出場なさる事を知っていたので、
映画を見ながらなんとも感慨深く、
ネイティブの中でさぞかしの事と胸が熱くなって、
その主人公の女の子と重なって涙が何度も出そうになった。
・・・そう。
別段、我が事ではない事に、最近、とみに涙が出るのだ。
前置きがうんと長くて、スペリングビーの話しなのか、と
思わせておいて、実に自分の涙脆さの話しである。
TAMAさんの所では、お子さん達の美しい和服姿のお写真を見ては、
なんだか胸を打たれて涙が出る。
あんまり、美しくも可愛い写真なので、一枚所望した位である。
ああ、図々しい。でも、泣けるのよ。
毎日見ていれば、その内、涙も乾いて泣かなくなるのかもしれない。
で、うちの子供と重なって、
こんなにアメリカナイズされちゃって、この子達とて
日本に帰った暁に、こういう和装でもさせたなら、
ちょっとは日本人らしくなるのかしら、とまた泣ける。
なんだか、本当につまらない事でも泣けてしまうのだ。
自分の老いさらばえた肉体を思っては涙し。
長男の細長く、テニスをするに恵まれた体躯を見ては涙し。
次男の細い体のあちこちに、大人になりなんとする筋肉の
集まりを見ては涙し。
新聞で広島原爆祈念館に遺産の内約9000ドルを
寄付したアメリカ退役軍人の方の話しを読んでは涙し。
どうして、そうそう涙が溢れるのか、意味が分からない。
とてもエモーショナルだ。
バカバカしいとも思うが、もうええか、とも思う。
年を取るというのは、
子供へどんどん帰って行くようなものなのだろうか。
振り返ってみるに、
一番多感であった思春期の次に涙をこぼしているような気がする。
だけれど、
涙の質が変わったな。
独りよがりに変わりはないが、
あの頃よりも、愛にちょっとだけ長けている、と思うのは、
私の身勝手だろうか。
・・と、書きつつ、また何故か?涙がこぼれる。

0