個人的なメモに近いんだが。
日本語の構造や文化形態の面から考えると、黒潮に乗ってきた南方系海洋民族もしくはそれに近い基盤の上に、大陸から日本海を渡ってきたツングース系のアルタイ語族がかぶさって成立したものだと思っていた。
で、それぞれが縄文人と弥生人、または草創期縄文人と後期縄文人あたりに相当するのだろうと考えて納得していたのだが(この場合、弥生人は長江流域からやってきたと考える)、考えてみたら縄文時代の始まりが1万6千年前で、ミクロネシア・ポリネシア等オセアニアでの海洋民族の展開が始まったのはつい6千年前。時期が全然違う。それと、黒潮ルートなら縄文以前に台湾から南西諸島に足跡が残っていなければならないはずだが、これも証拠がない。むしろ南西諸島には日本語成立以後に人々が南下していったことは、琉球語と日本語の関係を考えるまでもない(ただしこれはほんの2千年前の話だから、また別に考えるべきなのかもしれない)。縄文早期は氷河時代の終わりと重なっているので下手をすると黒潮の流れが違っていたことも考えられるんだが、さすがにそれはないか? 氷河期末期に縄文文化が始まっていたことを前提にするなら、対馬海峡あるいは間宮海峡・宗谷海峡が陸路またはごく狭い海峡だっただろうことから半島ルートあるいは北方ルートを想定した方が合理的だし、縄文文化が東日本中心だったこともこれで説明できる。しかしたしかに南方とのつながりもある、はずなのだ。逆に縄文人が南に……いやこれもないか。しかし西大西洋の古代史なんか調べようがないというか、学会でもまだなにもわかってない状況らしいからなあ。まあそんなこんなで、今は調べれば調べるほど仮説も立てられなくなる状態です。

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