自分が子どもだった頃を除いて、子どもと一緒に暮らしたことがないので、
大人の都合で動くことにすっかり慣れてしまっていた。
大人の都合で動くとは、例えば、短時間にたくさんのことを詰め込もうとする、ということだ。
先日、たまたま数時間を3人の子ども(未就学児2人、乳児1人)とともに過ごすことになった。趣味のグループの活動に、子連れで来たメンバーがいたのだ。
活動では、楽しみながらも一定の水準を満たそうとしているので、その日に到達したい目標がある。
けれど、子どもにとってみれば、大人の都合なんか知ったこっちゃない。
それに、例えば、歩く速度からして大人と子どもでは違っている。
それは当たり前のことなのだけれど、そして、ハチャメチャな子たちではなく、むしろ聞き分けのいい子達だったと思うのだが、いやぁ、彼・彼女たちのエネルギーに圧倒され、
子どものいる時間・子どものリズムというものを受け入れられずに、イライラしている自分に気づいた。
そしてこの感じ方は、おそらく男性の感じ方に近いのでは?と思った。
自分が、効率を重んじる行動様式をこんなにも身につけているとは、これまで気づかなかった。
子どもをなだめながら、子どもをおんぶしながら、子どものオムツを替えながら、グループの活動をやっていくメンバーたち。子育てサークルなどは別として、男性主体の活動だと、こんな光景はあまり見られないのではないだろうか。それとも今は、父親も大いに育児に携わっているのか?
そして、毎日毎日、子どもたちの世話を直接しながら、仕事をしたり、家事をしたり、さらにそのほかの活動もしたり、
何とか時間と体力をやりくりしている、多くの親(おそらくその大部分は母親)たちのエネルギーと忍耐力に思い至った。
もちろん、その周囲にサポートしてくれる人々がいるからこそ、いろいろできる、ということも忘れてはならないのだけれど。
でも、それにしても。
母親たち(それに父親たちも)、
すごいぞ! 偉いぞ! よくやってるぞ!
子育てをする人の忍耐力とバイタリティに感服した一日だった。

0