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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2009/6/29

阿蘇高菜と麗水市の高菜の間柄  隣国との友好と平和

 キムチ漬けを最近好むようになってきたので、すっかり辛い唐辛子の味に馴れてしまいました。

 エビセン買うにしても唐辛子の入ったものを選びますし、時には『ハバネロ』という激辛を買うこともあります。辛さの程度を表す数値のことをスコビル値というらしいのですが、なにしろすこびる辛いものです。

 私は、実は睡眠時無呼吸症候群です。治療をした方がいいのかどうか悩んでいます。夜中にそのまま死んでしまいはしないかという不安を与えるぐらい、1分以上も呼吸をしていないらしい。鼾もすごいらしい。深い眠りが不足しているため、昼間激しい睡魔に襲われます。そんな時です、唐辛子の辛さがほしくなり、コンビニで激辛のハバネロのエビセンに手が出るのは。睡魔を辛さの刺激で撃退してしまおうという訳です。

 さて、唐辛子で辛さが強い、キムチ大好きになった私ですが、きついニンニクの匂いが体に染み付いているような気がして、周囲の人が閉口しているのではないかと心配になります。
 熊本学園大学で映画監督らのシンポジウムに参加していた時のこと。いつの間にか隣に座っていた人の姿が消えていましたから…

 カッキムチ(高菜キムチ)は、学園大学にテジョンから留学されている学生さんたちもご存じで、有名な特産品だと感じましたが、実はまだ食べたことがないと言っていました。韓国の高菜はほとんどが脳天までツーンとくるそうなのですが、麗水市の高菜だけはツーンとは来ない品種だそうで、そこが若い人にも食べやすく人気の秘密になっているのではないでしょうか?

 秀吉による慶長・文禄の役の時に、侵略戦争に反対して日本軍と戦った『沙也加』という武将がいたことが、朝鮮側の記録にあるようです。
 司馬亮太郎は、沙也加(さやか)=雑賀(さいが)衆、つまり和歌山県の忍者?ではなかったかという説を唱えています。音も似ていますし…

 鉄砲の作り方を伝えたということですから、雑賀衆だったのではという説は、火薬製造に長けた人々だったでしょうから説得力があります。それに対して、阿蘇高森在住の作家・津留今朝寿さんは、沙也加は断絶させられた阿蘇家の関係者だったとの説で書いておられます。
 日本軍を撃退するために鉄砲の作り方を伝え先頭に立って戦い、後に満州族が南下して来た時にも撃退し、その功績によりヤンパンに列せられたと言います。

 阿蘇高菜と麗水市の高菜がどこか似ていることを思えば、私の心情としては津留今朝寿さんの沙也加=阿蘇家説の方を採用したくなります。困難な時代に阿蘇と麗水との間に堅い友情が存在したのではないかと、そんな微かな親近感を覚えてなりません。

 私は救国の英雄・李舜臣の伝記も図書館で読みましたし、ハングル版も買って持っています。さまざまな困難と試練を乗り越えて日本軍を撃退しつつ悲運にも死んでしまう李舜臣将軍。湾の奥にある亀甲船の造船所は、まさに沙也加と同じ時代のことだったんだなあと感慨深いものがあります。

 私は歴史教科書問題が起きた先年、日韓の歴史を正しく子どもたちに教えるべきだ、歪曲教科書を採用しないようにと、民団や忠清南道の人びとと一緒に運動を展開しましたが、わが人生を振り返る時に、阿蘇郡での採択を阻止できたことが一番うれしかった思い出になるのではないかと思います。

 日本の軍国主義は、日清戦争や明成皇后事件の時に間違った道に大きく入り込んでしまいました。尊敬する勝海舟も日清戦争にいたる過程を苦々しく見ていたそうですが、全羅道から起こった東学農民運動を、待ち伏せして徹底的に武力攻撃した日本軍の行為は、よくないことだったと、なぜこんな野蛮な行為を阻止できなかったのかと、当時の人間ではありませんから関係ないとはいえ、悔しい思いです。
 またもっと遡れば、雲揚号事件の時。その前に朝鮮・中国を深く尊敬して『平和を説いた』熊本の横井小楠が暗殺されてしまった時も、生きていれば『征韓論』はまた違った展開をしていたであろうと思われ、あれこそは歴史の分岐点だったと残念です。

 私は、熊本城築城400年を祝うなら、加藤清正だけでなくて、『大義を四海に布かんと』して帝国主義・軍国主義に反対した、熊本城内の時習館出身の思想家・横井小楠をこそもっと顕彰せずばなるまいと思っています。そして今後の日本の道を平和の方向で動かしていかなくてはならないという決意を固める機会とするのです。

 キリスト教世界では世の中が悪い方向へ進もうとするのを、身を呈して阻止しようとする人のことを『地の塩』と申すようですが、顔を真っ赤にして怒るイメージの『地の唐辛子』も世の中には必要なのではないかと思います。

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