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菊陽病院家族会会長  飲酒のように、ピアサポートによってタバコをやめようとする意志を強化し、互いに励ましあうための仲間との話し合う場が必要ではなかろうかと思うのです。

 現代人の心の健康は大変脅かされています。精神保健福祉を話題の中心にして、少しでも早期発見・早期治療に向かって、皆様と一緒に進んで行きたいと思います。イギリスのメリデン・プログラムが理想でみんなねっと
という全国組織に団結して運動をやっていきたいと考えています。

 手話言語法の制定を求める意見書が、西原村議会でも採択され、政府に送付されました。手話言語条例の方も制定されるように、まずは私自身が手話つきで一般質問ができる程度にはなりたいものだと思っています。

  
     
日本共産党の西原村議員・田島敬一 861-2403 熊本県阿蘇郡西原村布田834-160 096-279-2705

2009/10/18

合併しなくてよかったという話  村のあちこち村おこし

 今日は水俣市に八時半集合で社会教育委員の私は行かなくてはなりません。

 私は昨日も玉名市に行き、希望していた伊倉南方を配ることができました。徒歩で隈無く歩いたので、脚は棒になり豆ができそうに痛いのですが、だいぶ地理が把握できました。住居と墓が近接しているという特徴があります。

 それから船着き場も発見。南北にくっきりと分けて、北方・南方という地名や、南北両八幡宮がなぜできたかの謎もわかりました。守護と地頭の争いを真ん中から分けて収めた、下地中分のラインだったのです。そう言えば何かの歴史書に『下地中分』の説明に伊倉の例が紹介されていた記憶がうっすらとよみがえってきたのですが…あれは武士の台頭で貴族体制が崩壊し封建制が誕生しかかった平安時代の話だったでしょうか?

 切利支丹墓も発見できました。土に埋まった状態で明治になってから発掘されたので、おそらくは弾圧を恐れて土を被せて隠したのではないかと思います。

 驚くのは、日本で初の大砲が上陸したのも伊倉だったということです。御弊振り坂というのですが、『屁ふり』に掛けて名付けたのかもしれませんが、ポルトガルから大砲を輸入して、緩やかな傾斜の坂を引き揚げたのは、大友宗麟だったのです。伊倉から大分まで大砲を陸路運んだと。こんなところまで大分勢が支配していたんですか?

 キリシタンも豊後から菊池川を経由して伊倉へ、そして天草・島原・長崎へというルートがあったようです。

 さて一昨日の晩の夕食会でのこと、ある人が言いました。『平成の大合併は大失敗だった』だとか、『あたたちゃよかったたあね。よくぞ合併せすに頑張りましたね』などと、言われるそうです。

『合併をしたところは平成27年から地方交付税が激減して、大変な目に遭うでしょうからね。問題はこれからなんですよ』

 今まで町村合併推進派だった人の口からそんな言葉が聞けて、とにもかくにも地方と中央の格差拡大路線の自公政権が退場したことで悪政がストップできて、だいぶ状況が違ってきたようです。

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