2012/5/26
那覇の首里城西に【新都心】ができていました…米軍住宅の跡地を利用して 村のあちこち村おこし
10日間は首里城近くのアパートの住人です。
この界隈は一昨年、たまたま(九州公民館大会)が行われて、西原村から参加したお父さんは、首里城の近くのレンタサイクルから自転車を借りて、分科会をあっちだこっちだと訪ね歩いたところでした。不思議な縁が感じられます。車は借りることができはしましたが、何しろ首里は道が狭いので停める場所に苦労します。
遠いところに停めて歩かないと支持者訪問ができません。
公民館大会の時には、道に迷いながらひたすら自転車を漕いで回ったので、ところどころ印象が残っています。
よっぽどレンタサイクルを借りてビラ配りしようかとも思います。
コンクリート製二階建ての四角い沖縄風建築群。台風にも吹き飛ばされないがっちりした石のアパート。
屋根は平面で、鉢を並べて屋上庭園ができそうですが、台風に吹き飛ばされないためには、あまり置くこともできません。ベランダも広くて、椅子を置けば展望デッキになります。
初夏の空気が流れる中、遠くに見えるわずかな緑を見つめて夕涼みしたくなります。
バストイレの中には湯船がなくてシャワーのみとは驚きでした。
そう言えば、どこの屋根にも、まん丸い地球儀みたいな貯水槽を載せています。一を聞いて十を知る…これは、渇水に苦しんできたことを物語っているようです。
台風銀座にしては意外ですが…降るときにはどか雨が降っても、陸が小さいだけに保水して地下水にしてくれる山の緑が薄く、アッという間に海に流れ去るのでしょう。
北部ヤンバルのダムから水道を引いていると聞いたことがあります。
水は一滴もおろそかにせずに大事に使わなくてはならない…という感覚ができあがったのでしょう。
湯船がないのは水が乏しい風土の、中国風建築思想と共通性があると思います。
かつて琉球王朝時代には、福建省に居館を設けていたり、中国からも冊封使を数年おきに迎えたり、沖縄にいついた中国人も多かったそうですから…
琉球王朝時代に、ある種の樹木に縄を巻いて、葉っぱから幹へと伝ってくる雨粒を大きな壺にすためて水を確保していたと、何かで読んだ記憶があります…このノウハウは、【孟子】に出てくる龜割りの話を連想させます。
振り返って我が家で、水を電気で沸かして入るのは、省エネのためにもうやめた方がよさそうだと思いました。
那覇市内の北東部を守備範囲にする、渡久地(とぐち)おさむさんを応援することになりました。現在、県議1期目です。
【テンペスト】の舞台となったのが首里城王府。そのあるあたりを歩き回ることが仕事になったとは、歴史好きな私にとっては、まことにおあつらえ向きです。
この幸運は一体何でしょう。朝早くから起きてビラ配りしようが、地図を頼りに支持者訪問をしようがちっとも苦にはなりません。
眠い目をこすりながら遅い集約会議に参加するのも、候補者の奥さんや中央から派遣された選対責任者など、ソウソウたる顔ぶれと接することも勉強になります。
鹿児島市議選以来『また会いましたね』…
『36年ぶりですね』
という人もいて嬉しくなります。
家々の密集するあちこちに、歴史の重みが染み込んでいる一帯です。孫寧恩がフッと角から出てきそう。
<チュラさん>の撮影に使われた家もこの一角にあるようです…日焼けして皺のある元気なオバアにも会えます。
首里城の西方に、【新都心】があるとは24年前にはなかった変化です。米軍住宅が返還された跡地を利用しているそうです。
基地の返還は不可能ではないという実例になります。
基地の返還によって、雇用効果が128倍にもなったと書いてあります(なは市議会答弁)。
普天間基地が返還されることになると、207人しかいない雇用が何と3万2090人にもなるという試算が公表されていますから、こちらは何倍でしょうか?計算すると155倍になります。
その新都心に引っ越してきたのは、比較的若くて少しは豊かな中間層だそうで、まだ横のつながりが十分形成されていない地域だそうですから…ハンドマイク宣伝など都市型の活動が求められます。
琉球新報の記事には、フェイスブックを利用している若者のグループの行動が紹介されていました。
各県議候補にアンケートを寄越して、返っきた政策をフェイスブックに掲載しているそうで、結構無関心だと思われている若者がアクセスしていて、けっこう子育てや低賃金や就職難の問題について意見を寄せていると書いていました。
地元新聞の熟読も沖縄を知るには必要なことです。
オルグの人は、高齢者が多い地域で集いを開くときに、ウチナー口が理解できないと嘆いておられました。多少は方言の勉強もかじってみますか…
街を歩いて気づいたことは、太陽熱温水器は見かけても、太陽光発電パネルを一向に見かけないことです。
今朝の『琉球タイムズ』には、角度を5度にして、台風がきた時にも風の抵抗を少なくして、受け流す形の太陽光発電パネルを広告していました。
平面の屋上に洗濯物を干すための雨避け場所としても使えるようにしていました。
沖縄の風土に合った太陽光発電設置方法と言えましょう。
0
この界隈は一昨年、たまたま(九州公民館大会)が行われて、西原村から参加したお父さんは、首里城の近くのレンタサイクルから自転車を借りて、分科会をあっちだこっちだと訪ね歩いたところでした。不思議な縁が感じられます。車は借りることができはしましたが、何しろ首里は道が狭いので停める場所に苦労します。
遠いところに停めて歩かないと支持者訪問ができません。
公民館大会の時には、道に迷いながらひたすら自転車を漕いで回ったので、ところどころ印象が残っています。
よっぽどレンタサイクルを借りてビラ配りしようかとも思います。
コンクリート製二階建ての四角い沖縄風建築群。台風にも吹き飛ばされないがっちりした石のアパート。
屋根は平面で、鉢を並べて屋上庭園ができそうですが、台風に吹き飛ばされないためには、あまり置くこともできません。ベランダも広くて、椅子を置けば展望デッキになります。
初夏の空気が流れる中、遠くに見えるわずかな緑を見つめて夕涼みしたくなります。
バストイレの中には湯船がなくてシャワーのみとは驚きでした。
そう言えば、どこの屋根にも、まん丸い地球儀みたいな貯水槽を載せています。一を聞いて十を知る…これは、渇水に苦しんできたことを物語っているようです。
台風銀座にしては意外ですが…降るときにはどか雨が降っても、陸が小さいだけに保水して地下水にしてくれる山の緑が薄く、アッという間に海に流れ去るのでしょう。
北部ヤンバルのダムから水道を引いていると聞いたことがあります。
水は一滴もおろそかにせずに大事に使わなくてはならない…という感覚ができあがったのでしょう。
湯船がないのは水が乏しい風土の、中国風建築思想と共通性があると思います。
かつて琉球王朝時代には、福建省に居館を設けていたり、中国からも冊封使を数年おきに迎えたり、沖縄にいついた中国人も多かったそうですから…
琉球王朝時代に、ある種の樹木に縄を巻いて、葉っぱから幹へと伝ってくる雨粒を大きな壺にすためて水を確保していたと、何かで読んだ記憶があります…このノウハウは、【孟子】に出てくる龜割りの話を連想させます。
振り返って我が家で、水を電気で沸かして入るのは、省エネのためにもうやめた方がよさそうだと思いました。
那覇市内の北東部を守備範囲にする、渡久地(とぐち)おさむさんを応援することになりました。現在、県議1期目です。
【テンペスト】の舞台となったのが首里城王府。そのあるあたりを歩き回ることが仕事になったとは、歴史好きな私にとっては、まことにおあつらえ向きです。
この幸運は一体何でしょう。朝早くから起きてビラ配りしようが、地図を頼りに支持者訪問をしようがちっとも苦にはなりません。
眠い目をこすりながら遅い集約会議に参加するのも、候補者の奥さんや中央から派遣された選対責任者など、ソウソウたる顔ぶれと接することも勉強になります。
鹿児島市議選以来『また会いましたね』…
『36年ぶりですね』
という人もいて嬉しくなります。
家々の密集するあちこちに、歴史の重みが染み込んでいる一帯です。孫寧恩がフッと角から出てきそう。
<チュラさん>の撮影に使われた家もこの一角にあるようです…日焼けして皺のある元気なオバアにも会えます。
首里城の西方に、【新都心】があるとは24年前にはなかった変化です。米軍住宅が返還された跡地を利用しているそうです。
基地の返還は不可能ではないという実例になります。
基地の返還によって、雇用効果が128倍にもなったと書いてあります(なは市議会答弁)。
普天間基地が返還されることになると、207人しかいない雇用が何と3万2090人にもなるという試算が公表されていますから、こちらは何倍でしょうか?計算すると155倍になります。
その新都心に引っ越してきたのは、比較的若くて少しは豊かな中間層だそうで、まだ横のつながりが十分形成されていない地域だそうですから…ハンドマイク宣伝など都市型の活動が求められます。
琉球新報の記事には、フェイスブックを利用している若者のグループの行動が紹介されていました。
各県議候補にアンケートを寄越して、返っきた政策をフェイスブックに掲載しているそうで、結構無関心だと思われている若者がアクセスしていて、けっこう子育てや低賃金や就職難の問題について意見を寄せていると書いていました。
地元新聞の熟読も沖縄を知るには必要なことです。
オルグの人は、高齢者が多い地域で集いを開くときに、ウチナー口が理解できないと嘆いておられました。多少は方言の勉強もかじってみますか…
街を歩いて気づいたことは、太陽熱温水器は見かけても、太陽光発電パネルを一向に見かけないことです。
今朝の『琉球タイムズ』には、角度を5度にして、台風がきた時にも風の抵抗を少なくして、受け流す形の太陽光発電パネルを広告していました。
平面の屋上に洗濯物を干すための雨避け場所としても使えるようにしていました。
沖縄の風土に合った太陽光発電設置方法と言えましょう。
