2013/7/31
カボチャの行進に向かって話しかけると、ハングル暗誦が進むかもしれません。 村のあちこち村おこし
麻生副総理が、『憲法改正には、ナチスに手法を学べばよい』と言ったというのですが、すぐ頭に浮かぶのは国会放火事件です。
発言のTPOと全文をしっかり掴まなくてはならないと思います。
まさか麻生副総理は、そんなとんでもない手法に学ぼうとしているんではないでしょうね?
要するに国会放火という謀略をやって共産党を逮捕した事件ですね。
たまたまブルガリアからドイツに来ていたディミトロフが逮捕されて、それから孤軍奮闘の裁判闘争を粘り強く展開した記録を、私は雑誌・【前衛】の(スターリンの誤り)のところで学習しているところでした。
…………………
県立美術館で催されている、レオナール・フジタ展には、お盆休みにでも出かけましょうかね。
……………………
さて、わが家では、生ゴミはすべて庭にすきこんでしまって、一切外部のゴミ回収には出していません。
そのためか、植えてもいないのに、いつの間にか里芋の葉っぱが繁ってきたり、西瓜が生えてきたりしています。
ミミズもたくさん生息しています。
カワイイ可愛い里芋の小さな葉っぱに水をかけてやるのも楽しいものです。
野菜の高騰と、やがて来るTPP参加(もちろん反対して阻止しなければなりませんが)で、農家が潰れてしまう可能性もあります。何しろ食糧自給率が27%になるという農水省の予想があるぐらいですからね。
そうなった時に、農家人口や関連産業の人口は一体どこへ行けばよいのでしょうか?
都会への集団移住をして生活保護でしょうか?働く場はなかなかないでしょう。
沖縄県などの離島に住む人はいなくなるかもしれません。
そうした塗炭の苦しみの中で、自民党などのTPP推進勢力は、支持率を急降下させて政権からあっという間にずり落ちてしまうという近未来が見えてきましたね。
【TPPに反対します】…とかなんとか選挙ポスターに自民党が掲げていたのは、わずか半年前の衆議院選挙でしたからね。
それはそれとして、終戦直後の食糧難時代ではありませんが、都市住民や近郊住民は、空いた土地にはカライモを植えたり、野菜を植えたり、最大限庭などに栽培して自己防衛を図るようになっていくだろうと想像します。
狭い庭をどう有効活用して、野菜を育てるか…よく考えなければなりません。
その点、立体的に植えることによって、農地が不要か狭くても大丈夫な、三角棚栽培法を採用する人も、ベランダしかない人々の間に急激に増えていきそうだと思うのです。
わが家といえば、カボチャを植えてみたところ、生け垣の上にまで這い上って、まるでとぐろを巻いた龍かイグアスみたいなのが、二本の前足を使って静かに動き回っているようです。
ひょっとして妖怪かもしれません。一部は屋根の上を目指しているみたいです。
これも立体的栽培法といえるかもしれないと思えば、楽しさもひとしおです。生け垣の上も農地…屋根の上も農地!
見ているだけで、元気になります。
カボチャが生きていると思って見れば、話しかけたくもなります。
もともと古代の日本は邪馬台国の卑弥呼みたいに、森羅万象には魂があるとみるアニミズムの国でしたね。
西原村で議員に立候補した最初の頃は、広い農村地帯で誰も聞いてくれる人がいなくても、電信柱に話しかけるつもりでマイクで喋っていました。
誰も聞いてはくれていないと思えば、喋る言葉に力が入りません。しかし電信柱を擬人化して、
『そうでしょう…そうでしょう』
『うんうん!』
と相づちが返ってくると想定すれば、いつの間にか元気が出てきて話に説得力がついてきます。
これも一種のアニミズムかもしれません。
誰かがたまたま通りかかった場合に、電信柱しかない広い田園風景の中で、全力投球の演説をやっているのが聞こえてきて、ご支持がいただけることになったかもしれません。
語学の習得法についても、生まれたばかりの幼児期に母親が英語でも中国語ででも語りかけるとよいと、スーパープレゼンテーションでアメリカの女性科学者が言っていましたが、そんなことを聞いても幼児期はとっくに過ぎた大半の人々には、何の意味もありません。
そこで私が提唱し実践しようとしている方法をご紹介したいと思います。
シャドウボクシングに近い方法ですが、暗誦した文章を誰か見つけて…ただ聞いてもらうというだけです。
聞いてもらう方は、韓国語や中国語を理解できなくてもよくて、ただの聞き役になるのです。
これなら電信柱に語りかけるよりもはるかに対面対話の緊張感があります。
ひとりでひたすら暗誦するのは、独り言みたいで、意欲がだんだん低下してきます。
これでいくのはかなり根気が求められます。くたびれてしまいますので、誰でもはできないでしょう。
泉力温泉の奥にある…タイカレーの店(セムトゥ)の女主人なら辛抱強く聞き役になってくれそうです。
まあしかし、度々行くには外食を控えている私には現実的ではありません。
暗誦文の聞き役になり手がなかなか見つからないなら、どうするか?
犬のポナをグラウンド周辺に散歩に連れ出して、ハングルで語りかけてみたいと思います。
庭のカボチャや飼い犬と対話をやってみた時に、自分の脳の内部が赤くなったり青くなったり…とどのように反応するか、電磁波測定のヘルメットを被らなくても、何らかの【感じ】によって有効か有効でないか…自己判定できるかも知れないと思うのです。
将来、アトム型の語学ロボットができて、
『へえ?それから?どうして?』
『そうなんだ!』
などと相の手を打って話を促してくれたら面白いかもしれません。
語学の習得促進だけでなく、きっと認知症の予防にもなるに違いありません。
ずいぶん話が飛びました。
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発言のTPOと全文をしっかり掴まなくてはならないと思います。
まさか麻生副総理は、そんなとんでもない手法に学ぼうとしているんではないでしょうね?
要するに国会放火という謀略をやって共産党を逮捕した事件ですね。
たまたまブルガリアからドイツに来ていたディミトロフが逮捕されて、それから孤軍奮闘の裁判闘争を粘り強く展開した記録を、私は雑誌・【前衛】の(スターリンの誤り)のところで学習しているところでした。
…………………
県立美術館で催されている、レオナール・フジタ展には、お盆休みにでも出かけましょうかね。
……………………
さて、わが家では、生ゴミはすべて庭にすきこんでしまって、一切外部のゴミ回収には出していません。
そのためか、植えてもいないのに、いつの間にか里芋の葉っぱが繁ってきたり、西瓜が生えてきたりしています。
ミミズもたくさん生息しています。
カワイイ可愛い里芋の小さな葉っぱに水をかけてやるのも楽しいものです。
野菜の高騰と、やがて来るTPP参加(もちろん反対して阻止しなければなりませんが)で、農家が潰れてしまう可能性もあります。何しろ食糧自給率が27%になるという農水省の予想があるぐらいですからね。
そうなった時に、農家人口や関連産業の人口は一体どこへ行けばよいのでしょうか?
都会への集団移住をして生活保護でしょうか?働く場はなかなかないでしょう。
沖縄県などの離島に住む人はいなくなるかもしれません。
そうした塗炭の苦しみの中で、自民党などのTPP推進勢力は、支持率を急降下させて政権からあっという間にずり落ちてしまうという近未来が見えてきましたね。
【TPPに反対します】…とかなんとか選挙ポスターに自民党が掲げていたのは、わずか半年前の衆議院選挙でしたからね。
それはそれとして、終戦直後の食糧難時代ではありませんが、都市住民や近郊住民は、空いた土地にはカライモを植えたり、野菜を植えたり、最大限庭などに栽培して自己防衛を図るようになっていくだろうと想像します。
狭い庭をどう有効活用して、野菜を育てるか…よく考えなければなりません。
その点、立体的に植えることによって、農地が不要か狭くても大丈夫な、三角棚栽培法を採用する人も、ベランダしかない人々の間に急激に増えていきそうだと思うのです。
わが家といえば、カボチャを植えてみたところ、生け垣の上にまで這い上って、まるでとぐろを巻いた龍かイグアスみたいなのが、二本の前足を使って静かに動き回っているようです。
ひょっとして妖怪かもしれません。一部は屋根の上を目指しているみたいです。
これも立体的栽培法といえるかもしれないと思えば、楽しさもひとしおです。生け垣の上も農地…屋根の上も農地!
見ているだけで、元気になります。
カボチャが生きていると思って見れば、話しかけたくもなります。
もともと古代の日本は邪馬台国の卑弥呼みたいに、森羅万象には魂があるとみるアニミズムの国でしたね。
西原村で議員に立候補した最初の頃は、広い農村地帯で誰も聞いてくれる人がいなくても、電信柱に話しかけるつもりでマイクで喋っていました。
誰も聞いてはくれていないと思えば、喋る言葉に力が入りません。しかし電信柱を擬人化して、
『そうでしょう…そうでしょう』
『うんうん!』
と相づちが返ってくると想定すれば、いつの間にか元気が出てきて話に説得力がついてきます。
これも一種のアニミズムかもしれません。
誰かがたまたま通りかかった場合に、電信柱しかない広い田園風景の中で、全力投球の演説をやっているのが聞こえてきて、ご支持がいただけることになったかもしれません。
語学の習得法についても、生まれたばかりの幼児期に母親が英語でも中国語ででも語りかけるとよいと、スーパープレゼンテーションでアメリカの女性科学者が言っていましたが、そんなことを聞いても幼児期はとっくに過ぎた大半の人々には、何の意味もありません。
そこで私が提唱し実践しようとしている方法をご紹介したいと思います。
シャドウボクシングに近い方法ですが、暗誦した文章を誰か見つけて…ただ聞いてもらうというだけです。
聞いてもらう方は、韓国語や中国語を理解できなくてもよくて、ただの聞き役になるのです。
これなら電信柱に語りかけるよりもはるかに対面対話の緊張感があります。
ひとりでひたすら暗誦するのは、独り言みたいで、意欲がだんだん低下してきます。
これでいくのはかなり根気が求められます。くたびれてしまいますので、誰でもはできないでしょう。
泉力温泉の奥にある…タイカレーの店(セムトゥ)の女主人なら辛抱強く聞き役になってくれそうです。
まあしかし、度々行くには外食を控えている私には現実的ではありません。
暗誦文の聞き役になり手がなかなか見つからないなら、どうするか?
犬のポナをグラウンド周辺に散歩に連れ出して、ハングルで語りかけてみたいと思います。
庭のカボチャや飼い犬と対話をやってみた時に、自分の脳の内部が赤くなったり青くなったり…とどのように反応するか、電磁波測定のヘルメットを被らなくても、何らかの【感じ】によって有効か有効でないか…自己判定できるかも知れないと思うのです。
将来、アトム型の語学ロボットができて、
『へえ?それから?どうして?』
『そうなんだ!』
などと相の手を打って話を促してくれたら面白いかもしれません。
語学の習得促進だけでなく、きっと認知症の予防にもなるに違いありません。
ずいぶん話が飛びました。
