「道」(La strada)
1954年 イタリア(コピアポア・フィルム) 108分 (モノクロ)
監督:フェデリコ・フェリーニ 製作:カルロ・ポンティ/ディノ・デ・ラウレンティス 原案:フェデリコ・フェリーニ/トゥリオ・ピネッリ 脚本:フェデリコ・フェリーニ/ トゥリオ・ピネッリ/エンニオ・フライアーノ 撮影:オテッロ・マルテッリ 編集:レオ・カットッツォ 音楽:ニーノ・ロータ
出演:
ジュリエッタ・マシーナ(ジェルソミーナ)/アンソニー・クイン(ザンパノ)/リチャー・ベースハート(イル・マット)
上映館:新潟市民映画館シネ・ウインド
採点:★★★☆☆
これはビデオでは観ていたけれども、劇場で観るのはたぶん初めてです。絵に描いたような女性虐待の話。
ジェルソミーナの末路は映画の最初に予言されています。なぜなら、ザンパノと一緒に行った姉が死んで、代わりに自分が1万リラで売られたのだから。
ジェルソミーナが精神障害者なのかはよくわかりません。自分にはジェルソミーナがまともでザンパノが障害者だと見えます。ジェルソミーナは連れて行かれた最初の日に性的な相手をさせられます。言わばザンパノの性処理の相手であり、大道芸の助手というわけです。
そのくせ、ザンパノはしばしばジェルソミーナを置き去りにして娼婦を買ったりもします。ジェルソミーナはそれに対して何も言えないのです。
サーカスの一座と仕事をしたとき、イル・マット(キ印)という男が、しきりにザンパノをからかい、喧嘩沙汰になります。彼はジェルソミーナにトランペットを教え、石ころにも存在価値があるのだからジェルソミーナにも必ず存在価値がある、と教えます。
しかし、ザンパノがイル・マットを殴り殺してしまったことからジェルソミーナはショックで泣き暮らすようになり、持て余したザンパノは彼女を置いて去ります。
数年後、ジェルソミーナが死んだ事を知ったザンパノは酒に酔いつぶれ、浜辺でひとり泣きます。
自分はどうもこのラストシーンが引っかかってしまいます。一般的にはジェルソミーナを失った後悔の心から、と言うことになっていますが、ザンパノはそんな男ではない気がするのです。ジェルソミーナが死んで、自分の悪事を知っている者がいなくなったと安堵しそうな気がするのです。
まあ、それでは映画的に座りが悪いのでああいうシーンで終わったんだろうな、などと思うとは、自分もよくよくシニカルな人間ですね。
アンソニー・クインとリチャード・ベースハートは英語でセリフを言い、イタリア語版は2人は別人による吹き替え、英語版はマシーナの方が吹き替えなんだそうです。通りでセリフが画面と合わないと感じたシーンがありました。
心温まる映画よりも、非道い内容の映画の方が、後世に残るという見本のような映画です。ザンパノが非道い男であればこそ、ジェルソミーナの純情が心にせまるのですから。

0