2008/7/17

関根さおり 「防衛医大という学校をご存知ですか?(関根さおり・その2)」  スタッフ紹介

 こんにちは、お当番を1週間も遅らせてしまいました関根(さ)です。 本題とは関係ありませんが、実は当クリニックの職員には私を含めて「関根」さんが3人、同じ平仮名の「さおり」さんが2人いるので、最近は自己紹介の時にフルネームを名乗る癖がつきました。 でも長いので、書く時は「(さ)」で済ませてしまったりしています。
 昔から、夏休みの宿題も8/30頃に始めるタイプでした(笑)。 あ、でも診察の時には極力真面目にやっています、ご安心ください(でもついお話が長くなっちゃって、順番をお待ちの方々にはご迷惑をお掛けする事が度々…申し訳ありませんいつもおいで下さる皆様)。

 前回、自己紹介で防衛医大の出身です、と申し上げました。 現在の日本で唯一、厚生労働省の管轄でない(防衛省ですね)医大や医学部です。 同じ6年制で、医学生としての教育カリキュラムは他の大学の方々とほとんど変わりません。 私は昭和60年に入学したのですが、国際婦人年に日本が批准するのを期に男子校から共学に変わった時の女子一期生だったので、6学年400名以上の学生の中で女性は8人だけ、と最初は極めて心細い環境でした。 でも慣れてしまえば同性の先輩が居ないというのは良いものだ、と気づいたのですが(働いていらっしゃる方は頷いて下さるのではないでしょうか・笑)。

 全寮制で最初の4年間は4人部屋(最後の2年間は2人部屋)、夜間休日以外は制服着用だし平日は原則外出禁止、朝6時半起床で点呼があってラジオ体操、その後は寮の掃除、合間に朝食を摂って8時から朝礼、そのまま全員で隊列を組んで教場まで行進していって授業開始…という、大学生とはとても思われない生活をほぼ6年間続けました。 早起きと3食きちんと食べること、集合時間を守ること、そういう事はこの学校に入らなければ今の私の身についてはいないと思いますので、とても感謝しています。

 学生ながら身分は特別職国家公務員で、雀の涙ほどのお手当てを貰いながら勉強させて頂いていました。 ほとんどは教科書代とストレス解消のための飲食費に消えていましたが(でも寮内は飲酒禁止、部屋にはTVや冷蔵庫やエアコンもなく当時はもちろんパソコンや携帯電話などという便利なものもなくてどこかへ電話をかけたい時は公衆電話の奪い合い、寮にかかってくる電話を捌くために電話当番を学生が交代で担当する、という今となっては信じられない生活でした)。

 自衛隊の仕組みや教練についても勉強しました。 毎年夏休みの前には訓練期間というものがあって、1年が富士登山、2年が千葉県近海での10Km遠泳、と毎年カリキュラムが決められていたものです。 冬はスキー訓練にも行きましたし、全国の自衛隊基地を見学にも行きました。 クラブ活動もやっていましたよ(軟弱派でしたから卓球部と、あと合唱部と社交ダンスクラブに入っていました。ダンスは最初の数年で幽霊部員になってしまったので現在役に立ってはいませんが…)。

 そんな中で医学の勉強もしながら無事国家試験にも合格し、卒業して11年間自衛隊医官として勤務しました。 医師を志したのは外科開業医として働き続ける父の背中を見て育ったせいでしたが、産婦人科を選択した理由は「女性の身体の不思議について色々な知識を得たい!」と思ったからでした。 生まれてから(実は生まれる前からでした、不妊治療に携わってから気づくのですが)死ぬまで、女性の一生をトータルに診られる科だということ、「おめでとうございます」と健康な方に言えるほぼ唯一の科だということ(妊娠や出産ですね)、そして自分や周囲の女性の役に立つだろうこと、が決め手でした。 あと、言葉は悪いですがヒトのお腹を切ってみたかった、という理由も(腹部手術に興味があった、という意味です・笑)。

 はっきりした専門分野は決めずに来たのですが、去年まで主に関わっていたのは子宮内膜症の治療と不妊症、そして通常の妊娠・分娩です。 かなり長くなってしまいましたので、このあたりのお話はまた次回に…。 それでは、いよいよ関東地方の梅雨も終わりかけで夏本番ですけれど皆様お元気で!(今度はお当番の日を守るように気をつけます♪)
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