2006/2/19

採点競技のあや  モーターレーシング

フィギャアスケートというのは、結果を採点する審査員が決める。週刊現代の渡辺絵美さんの語る記事を読んだのだが、当然審査員の恣意的なものが関わってくるという話しだ。これについては様々な見解があるだろう。
ではモーターレースというのはタイムと最後にはゴールラインを誰が最初に通過したかを競うものなのだから、実に公明正大といえるのだろうか?
エキサイト : スポーツニュース

フィギャアのことは、まったくよく分からない。見ても実に華麗であることしかわからないし、安藤選手が唯一試合で4回転したという、その回転もはっきりいって数えられないし、3回転半で終わっても4回転でもよく分からない、3回転半できれいに着地したものを見たら4回転にチャレンジして着地が乱れたものよりも、すごい!と思ってしまう気がする。モーターレースでいえばタイヤの残溝が数ミリ違うと大問題で、それなりに訓練した人はしっかり違いをタイムに再現できるというと知らない人は驚くようなもので、訓練した人が見れば細かな技術の違いが分かるのだろうと思う。それはモーターレーシングの走りそのものに関してもいえることなので類推はつく。
ただ、人間の感覚であるから、見た目と結果が必ず一致しないというのはあるので、それをタイムという客観的なもので検証できるモーターレースと完全に審査員の採点に頼るフィギャアとではちょっと事情が違うのかもしれない。いわゆる大技や課題となる決め技という大枠はあるらしいが、例えば同じ3回転でも、クオリティの差を採点しなければならず、どんな走り方でも速ければそれでいい(もちろんタイムを出すためにやらなければならないことは、かなりの程度きまっているのですが)という点でも違う。
渡辺さんの指摘では、徒弟制度ではないが、選手に教えているコーチがどの程度の権力を持つかでかなり違うというようなことを言っていたように思うが、形を競う以上、確かにある基準を決める人がいて、その考えが結果を左右するのもいたしかたない、その点時計という基準が全てのいわゆるレースと呼ばれるものの類とはちょっと考え方が違うようだ。そして、人間の心の中の恣意的な部分というのは決して量ることはできないものだ。渡辺さんの意見では、国内の最終競技会で浅田選手がだんとつによかったのでは、という話しは年齢制限の問題にかかわるので、さらに別の話になってしまうが、具体的には安藤選手の出場権獲得のとことのあやになるのだろう。しかし素人目には4回転ジャンプの可能性、それも世界唯一という明確な形にかけるというは協会側からすれば、ひとつの手のようにも感じる。恣意的な選考だからできたのだが、もちろんそれによって選考にもれた選手の悲劇というのもあるが、あえてそれが人生といってしまおうか?
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